標高57mの河岸段丘縁辺部に立地し、南側の谷には辺呂川が流れます。
弥生時代終末期に築かれた四隅突出型墳丘墓で、日本海沿岸交流を物語る山陰系の墳墓として注目されます。
一辺24.5m、高さ5.1mと高さのある墳丘をもち、突出部は長さ7.2m、幅10.6mです。
墳丘周囲には、丘陵側を中心に溝がめぐらされ、突出部は楕円形に肥大する特徴をもっています。
墳頂部中央には、2.9m×1.3m以上の範囲で落ち込みが確認され、上面に弥生土器の破片が出土しました。墓坑の陥没坑である可能性がありますが、内部は未調査です。 |
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墳墓からは、壺、甕、高杯、器台、蓋などの弥生土器が、墳頂部や周溝から出土しました。
350m北東にある千坊山遺跡に居住した、この地域の首長の墓と推測されます。 |
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