指定の経緯と経過
呉羽丘陵から羽根丘陵一帯は、古くから古墳が多く分布する地域として知られていました。

そのうち、「王塚古墳」と「勅使塚古墳」は、越中を代表する大規模な古墳として評価され、「王塚古墳」は昭和23年1月に国史跡に、「勅使塚古墳」は昭和40年10月に県史跡に指定されました。

その後、平成6年から平成9年にこの2基の古墳との関連性が推測されていた「千坊山遺跡」において、その内容を明らかにするための試掘調査が実施され、大規模な弥生集落が確認されました。

さらに平成10年から平成12年には、「千坊山遺跡」の重要性を補足するため、周辺の関連遺跡が「千坊山遺跡群」として調査されました。その結果、四隅突出型墳丘墓を始めとした古墳出現期の重要な遺跡が相次いで発見されました。

この遺跡群は、古墳出現期の激動する社会の動きが、集落と墳墓の両面から追える貴重な事例であり、日本海沿岸交流を示唆する四隅突出型墳丘墓が多く確認されたことからも、高く評価されました。
上空から千坊山遺跡(中央)と呉羽丘陵(後方)を見る
上空から千坊山遺跡(中央)と
呉羽丘陵(後方)を見る
四隅突出型墳丘墓
四隅突出型墳丘墓
このことから、平成17年3月に、「史跡王塚古墳」に関連遺跡6ヶ所が追加され、現在の指定名称となりました。