小竹貝塚に思う

奈良文化財研究所 名誉研究員
岡村道雄
 
富山平野の旧放生津潟のほとりに所在した小竹貝塚は、縄文前期の低湿性貝塚である。低湿性貝塚では、水の存在と酸素供給が断たれ、元来腐朽してしまう漆製品・繊維製品・木製品・編組製品・樹皮製品などが残り、ありとあらゆる遺物が残っているのである。この意味で、「木の文化」ともいえる縄文文化の理解には欠かせない遺跡として価値が高い。

日本海側の前期貝塚は数少なく、福井県鳥浜貝塚が代表的な貝塚遺跡である。小竹貝塚は、鳥浜貝塚ほど大きくはないが、内容的には鳥浜貝塚以上のものが期待される。特に、貝塚・集落(竪穴住居群)・墓などが明瞭に残っており、村の構造を把握できる例として重要である。

遺跡前面に広がっていた旧放生津潟は、貝類採捕や漁撈の場であり、それに利用された丸木舟が多数埋没していても過言ではない。

小竹貝塚からは、今回人骨が2体出土した。同じ富山湾内の石川県真脇遺跡では、墓穴に板を敷いた屈葬人骨が出土している。小竹貝塚での葬法の解明が待たれる。また、犬の骨が多く出土していることも特徴である。食料としてイヌを食べるのは弥生時代以降のことで、縄文時代は猟犬として家畜化されたものである。小竹貝塚では埋葬されておりこれを裏付ける。遺跡には多くの犬がいたことだろう。出土している糞石も、多くが犬のものとみられる。

小竹貝塚近隣には蜆ヶ森貝塚が同時共存していた。その後縄文中期には、集落は台地の上に移り、北代遺跡(史跡)等の中核的集落を形成する。このように、ひとつの地域において、集落の移動の軌跡が把握できることも重要である。

放生津潟周辺に営まれた縄文時代の重要な遺跡として、将来にわたり保存してほしい遺跡の一つである。


(2009年7月26日 越中と美濃を結ぶ考古展記念講演会から要旨)