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(3)1958年の調査(高瀬保氏調査)
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1. 調査概要
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高瀬保氏が昭和30年に呉羽中学校に赴任した際に、「小竹と高木間に過去数回の架線電柱工事がなされたが多量の貝が出ている」と聞きました。また、昭和32年から33年に高圧架線鉄塔工事が行われた際にも、貝や土器が出土しました。 |
そのことから貝塚がある可能性があり、高瀬氏は昭和33年3月に周辺の聞き取り調査及び試掘調査を行いました。
調査の結果、縄文時代前期の貝塚であることが分かりました。 |
(堀内) |
調査箇所 |
調査方法 |
結果 |
1から5 |
聞取 |
貝層なし |
6 |
聞取 |
地表より1丈(約3.3m)で、三寸(約9cm)の貝層あり |
7 |
聞取 |
地表より5尺(1.8m)で、クルミの実など |
8から11 |
聞取 |
貝層なし |
12 |
試掘 |
地表より約150cmで貝層 |
13 |
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貝層なし |
14 |
試掘 |
地表より約170cmで貝層 |
15 |
試掘 |
貝層なし |
16 |
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地表より約180cmで貝層 |
17 |
試掘 |
貝層なし |
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(左)高瀬保 1958『呉羽町小竹の貝塚について』越中史壇第14号より抜粋
(右)現況図に加筆した図 |
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