シリーズ縄文講座(18)
ヒスイ製大珠と北代遺跡
 
ヒスイと大珠
ヒスイは透明度があり、鮮やかな緑色をしていることから、装飾品(飾玉)の材料として用いられました。ヒスイの原産地は日本列島で11ヶ所が知られていますが、縄文時代の玉に使われたヒスイのほとんどは、新潟県と富山県の県境付近(小滝川・青海川流域)で産出したものでした。ヒスイは硬度6.5〜7と大変硬く、その加工には高い技術を要します。ハンマーで叩いても容易には割れず、カッターの刃を立てても傷が付きません。
大珠は長さ5cmから15cm程度の飾玉で、中部・東北・関東から多く出土しています。長さを基準に、15cm程度の大形品、10cm超の中形品、5cmから10cmの小形品に分類できます。大形品は貴重で、特定の縄文人だけが持てるものでした。
 
北代遺跡のヒスイ製大珠と玉つくり
北代遺跡では、大珠が1点(写真@)、大珠未成品が2点(写真A・B)確認されています。大珠は長さ14cmの大形品で、大珠未成品は長さ6cmのものが1点、残存長5cmのものが1点と、いずれも小形品です。紐を通す孔を貫通させられずに製作が断念されています。この他、ヒスイの原石や大珠以外の未成品も認められることから、北代遺跡の縄文人はヒスイ原石を入手し、大珠などの飾玉を製作していたことがわかります。
大珠(@)と大珠未製品(A、B)
(縮尺不同)
  
写真Aは北代縄文広場(西の広場)南隣で採集され、写真Bは13号住居の周辺で出土しました。玉つくり工房は、西の広場もしくはその周辺、復原建物2(13号住居)周辺のどこかで今も静かに眠っていると考えられます。
ヒスイ産地に近い姫川(新潟県)の河口周辺で、ヒスイの玉つくり遺跡が多く確認されています。産地から離れた製作遺跡では入手できる原石が小さくなります。海岸でヒスイ標石を拾えた富山県朝日町境A遺跡でも、大珠をはじめとするヒスイの玉を大規模に製作していました。
北代遺跡には、大形品のヒスイ製大珠を所有できる縄文人がいただけでなく、大珠を製作できる大きさのヒスイ原石を入手でき、その製作技術をもつ縄文人も暮らしていました。本遺跡は縄文時代中期後葉(約4000年前)を中心に約1000年間にわたって栄えた、地域の拠点的集落でしたが、その要因の一つには高い技術力がありました。