シリーズ縄文講座(15)
クジラと北代縄文人
   
北代遺跡からは、大形クジラの骨が出土しました。残っていたのはナガスクジラの脊椎骨の一部で、そこから復元した大きさは約15mになります。 椎頭面観、背面観、椎頭・左側稜線観、左側面間
椎頭面観、背面観、椎頭・左側稜線観、左側面間
富山湾周辺からはこのような大形のクジラ骨が出土したのは、北代遺跡(中期)と石川県能都町真脇遺跡(晩期)の2遺跡だけです。
江戸時代には、富山湾を回遊する小形のクジラやイルカを、追い込み漁によって捕獲したという記録があります。しかし、はるか昔の縄文人がそのような漁法でクジラを捕獲したかどうかは定かではありませんが、丸木舟を操り、いくつかの村々から集まって集団で追込み漁を行ったことは十分考えられます。しかし大形のクジラを捕獲することは現代にあっても容易ではなく、湾内に迷い込んだ大形クジラが、弱って海岸に漂着したものを解体したのだと考えるのが妥当と思われます。
北代遺跡出土鯨類椎体破片の推定部位(ドット部)
北代遺跡出土鯨類椎体破片の推定部位(ドット部)
横式図は,ナガスクジラ(体長15m尾椎により作成)

出典:富山市教育委員会 
『史跡北代遺跡発掘調査概要U』 1998年
これだけ大きなクジラは、北代の縄文人に十分な食料を供給したことでしょう。
日本鯨類研究所がまとめたストランディングレコード(漂着等記録)によれば、富山湾内において、1998年12月から2004年12月までの6年間に110頭以上のクジラが確認されています。その95%がミンククジラで、ほかにはオウギハクジラがいます。これらはすべて新湊以西の富山湾西半で確認されました。これは富山湾特有の寄り回り波などの海流の影響と考えられます。
ミンククジラは体長8m、オウギハクジラは体長6m以下の小形の鯨類で、ストランディングレコードでも最大のミンククジラは7.7m、平均的な大きさは4.7mです。記録からは15mを超える大型のナガスクジラ類が湾内に入り込むことはきわめてまれなことで、縄文時代においてもおそらく同様であったと推定されます。
北代遺跡では、割られたナガスクジラの骨が、磨製石斧とともに高床建物の柱穴の中から出土しました。大きな穴を掘り、そこに柱を立て、その周りを埋め戻して柱を固める途中で、クジラ骨が柱の脇に置かれていることから、建物の建築に伴い、何らかの願いを込めて埋められたものであることがわかります。現代における「地鎮」に相当するまじないの行為かもしれません。
このことからも、北代の縄文人はナガスクジラの骨を貴重なものとして扱ったことがわかります。
 
参考文献
鯨研通信第401号から421号 1999から2004年 日本鯨類研究所
「ストランディングレコード」日本鯨類研究所ホームページ
平口哲夫 1998年 「北代遺跡縄文時代中期掘立柱建物の柱穴から出土した鯨骨」
『史跡北代遺跡発掘調査概要U』富山市教育委員会