シリーズ縄文講座(7)
縄文人のアクセサリー
ヒスイや琥珀こはくを用いた玉類
 
縄文時代中期から後期(今から約5000から4000年前)に流行した装飾品そうしょくひんの一つに飾り玉があります。ヒスイなどの石や琥珀などを加工して、ペンダントやネックレスなどに用いていました。
北代遺跡では、長さ14cmもある国内有数の大きさの大珠たいしゅのほか、勾玉まがたま小玉こだまなど、ヒスイ製のさまざまな飾り玉が見つかっています。このほか、作りかけのかけらも見つかっており、北代遺跡でヒスイの玉つくりを行っていたと考えられます。
大珠   勾玉
大珠   勾玉
【北代遺跡出土】
富山市の南西部にある開ヶ丘狐谷V遺跡では、縄文時代中期(今から約5000から4500年前)のムラが全面的に発掘されました。丘陵の頂部中央に円形の広場を設け、その周囲をめぐらせるように掘立柱建物ほったてばしらたてもの竪穴住居たてあなじゅうきょを配置していました。広場内にはお墓もつくられ、なかには琥珀製の垂飾りたれかざりが出土したものもありました。この垂飾りは破損したものを再加工して作られた貴重なものでした。 琥珀製の垂飾り
琥珀製の垂飾り
【開ヶ丘狐谷V遺跡出土】
ヒスイや琥珀の産地は富山県内にはなく、ヒスイは新潟県から、琥珀は千葉県からもたらされてきたものです。希少な琥珀や硬いヒスイなどに時間をかけて穴をあけた飾り玉は、誰もが持てる装飾品ではなく、ムラのなかのごく限られた人が持てるものでした。