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縄文時代の遺跡を掘っていると、一見するとただの河原石のような石が多く出てきます。それらをよく観察すると部分的につるつるにしていたり、くぼんでいる石があります。これらは凹石や磨石、敲石と呼ばれ、木の実を加工して食料とするための道具です。
縄文時代というと弓矢を持って山で動物を狩っていたというイメージを持っている人も多いようですが、縄文人の骨を調べると、動物よりも木の実などの植物を大変多く食べていたことがわかっています。 |
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凹石 |
磨石 |
石皿 |
【北代遺跡出土】 |
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凹石とは木の実、特にクルミなどを割るために使った道具です。クルミは熱を加えて先の尖った部分を石で叩くときれいに半分に割れます。大量のクルミを割るうちに石の中央部分が少しずつ欠けてくぼんだものです。
敲石、磨石は、木の実の皮をむいたり、粉にする道具です。石皿と呼ばれる平たい石の上に木の実を置いて、たたいたり、磨りつぶしたりして使います。 |
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このように割ったり、すりつぶして木の実を取り出していました |
出典:IPE「教育用画像素材サイト」
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/ |
クリ、クルミ、トチノミ、ドングリなどの木の実は、今のお米にあたるような主食だったと考えられます。アク(渋み)のあるものは水にさらしてアク抜きをし、粉にしてお粥や、ダンゴにして食べることが多かったようです。 |
クリは木の実の中でもアク抜きがいらないことから、縄文人が多く利用していたようです。縄文時代前期頃(今から約6000年前)には実の大きい木をよりすぐって村の近くに植え、簡単な世話をしていました。このことは遺跡から見つかったクリの科学的な分析で明らかになっています。縄文時代中期(今から約5000から4500年前)の遺跡の数が非常に多いのは、気候が温暖でクリが豊富に採集でき、安定した生活を送ることができたからではないかと言われています。 |
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炭化したクリ
【開ヶ丘中山V遺跡出土】 |
長さ 1.2cm・幅 約1.5cm |
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しかし、中期の終わり頃から気温が低く、また雨が多くなり、クリの栽培には向かなくなったようで、遺跡の数も減り始めます。縄文時代後期頃(今から約4000年前)には湿ったところを好むトチノミが盛んに利用されるようになりました。また、トチノミだけでなくいろいろな食物を利用することで不作の時に備えたようです。地面に大きな穴を掘り、ドングリなどを大量に保存した貯蔵穴が増えるのもこの頃です。 |
(安達) |