吉野銀山遺跡と庵谷・片掛銀山遺跡は、富山市南部の神通峡に位置し、神通川を挟んで右岸に吉野銀山、左岸に庵谷・片掛銀山があります。両銀山は鉱脈を同じくするとみられますが、それぞれ加賀藩と富山藩に属し、歴史的経緯が異なることから別の鉱山として扱われてきました。吉野銀山の発見は天正元(1573)年とされています。庵谷・片掛銀山も同じ頃に発見されたと考えられます。 |
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吉野銀山の坑口(坑道の入り口)は、神通川べりの崖壁に掘られています。坑口は13か所で見つかりました。内部が崩落せずに旧状をよくとどめているものもあります。このほか、鉱石から不純物を取り除く製錬作業を行った地点も確認できました。製錬場跡はダムにより大部分が水没していますが、川岸に鉱滓、石のハンマー、陶磁器等が散布しています。絵図によれば水没部には江戸時代の集落が存在していました。 |
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吉野銀山の坑口が神通川べりにあるのに対し、対岸の庵谷・片掛銀山は川べりから山間部までの広い範囲で確認できます。確認できた坑口は50か所近くにのぼります。50mほどの範囲に18か所もの坑口が密集する地点もあります。このほか、すり鉢状に大きく抉れた穴もあり、露頭に出ていた鉱石を採った跡かもしれません。 |
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明治期にも採掘していた記録があることから、江戸から明治までの新旧の遺構が混在していると考えられます。 |