薄波砦跡は、平成24年度に行った分布調査で発見しました。富山市薄波の標高347.1mの尾根上に築かれた砦跡です。東から南方向の眺望が良く、直下には飛騨東街道と桧峠越えの道の合流点があり、交通の要衝に築かれています。砦に関する文献や伝承等は残っていません。 |
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砦の規模は、南北85m、東西32mです。主郭となる平坦面は自然地形が多く残り、臨時に造られた城とみられます。敵軍の侵攻が最も予想される南側の尾根続きは、二本の堀切(敵の移動を妨げるために、尾根を遮断するように掘られた堀)を設けて防御しています。北側の尾根は堀切は一本しか設けていません。東西の斜面は、人工的に削って高さ4mから5mの急峻な崖(切岸)としています。 |
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佐伯哲也氏(北陸城郭研究会会員)は、この砦の構造から天正6(1578)年に飛騨に本拠をおく江馬氏が築き、対立する神保氏の侵攻を阻止する、また、江馬氏の拠点・中地山城(富山市中地山)への最短コースとなる桧峠越えのルートをおさえる目的で築城したと考えられています。 |
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文献からではわからなかった飛越国境をめぐる戦国史の一端が、この砦跡の発見によって明らかになりました。 |