この遺跡は井田川左岸の平野部に立地します。遺跡の西側は丘陵の斜面になります。 |
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平成18・19年度の発掘調査で、弥生時代終末期、古墳時代後期、古代、中世と断続的に続く集落であることがわかりました。なかでも中心となるのは弥生時代終末期です。3棟の竪穴住居が確認されました。竪穴住居はいずれも方形で一辺5m前後の大きさです。また、臼玉と呼ばれる玉製品や玉の原材料となる緑色凝灰岩・鉄石英の破片があり、集落で玉作りを行っていたことが推測されました。集落の北側には川跡とみられる落ち込みがあり、多量の土器が出土しました。竪穴住居のある居住域から不要になった土器を廃棄していたと考えられます。 |
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西の丘陵には、四隅突出型墳丘墓と呼ばれる首長墓3基からなる富崎墳墓群があります。富崎遺跡は、この首長を支えた人々の集落だった可能性があります。また、同じ丘陵上の集落である富崎赤坂・離山砦遺跡は、富崎遺跡が盛行する頃に衰退していて、丘陵と平野部2つの集落の盛衰に関係があったことが推測できます。 |
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周辺は、ほかにも弥生時代後期から古墳時前期の集落や墳墓が多く、この頃の越中の中心地域のひとつでした。富崎遺跡はこの地域の一翼を担った集落といえます。 |
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竪穴住居 |
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川跡からの土器出土状況 |
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