舘本郷Uたちほんごうに遺跡

弥生時代後期から終末期、
古代の集落跡
(富山地域)
富山平野南側の八尾町舘本郷・高善寺地区、富山市立保内小学校近辺に所在する遺跡で、東を井田川、西を峠川にはさまれた標高約38mから42mの平地に立地します。
 
昭和59年に小学校の西側から珠洲の(かめ)につめられた宋代の中国銭が出土しました。地鎮のために埋められたものと考えられます。平成8年に個人住宅の建築、また県営圃場整備事業にかかる発掘調査を行い、弥生時代後期から終末期(3世紀から4世紀頃)と古代(8世紀から10世紀)の集落跡を確認しました。ここでは弥生時代の遺構について紹介します。
 
発掘地点は集落の東端と推測されます。3つの遺構検出面があり、第1検出面からは掘立柱建物跡1棟、土坑多数、土器溜まり1ヶ所を確認し、第2検出面からは土器溜まり2ヶ所を確認しました。第3検出面からは谷状の落ちこみと土坑1基を確認しました。出土した土器の時期を見ると、第1検出面は白江式、第2検出面は月影T式(法仏U式末)から白江式、第3検出面は法仏U式末となります。集落の外れの窪みを廃棄場として用い、その後に集落が拡張したという過程が考えられます。特に第2検出面からは多量の土器が出土しており、集落の最盛期であったと言えます。
赤彩された祭り用の土器(第2検出面から出土)
赤彩された祭り用の土器(第2検出面から出土)
出典 八尾町教育委員会『翠尾T遺跡 発掘調査報告書1』 1997年
※遺跡の名称は、発掘調査報告書では翠尾T遺跡となっていますが、その後の調査により発掘調査地周辺を舘本郷U遺跡としています。
 
遺跡の特徴としては、祭りに用いられた土器がかなり多く出土したことが挙げられます。多量の炭で黒々とした土の中から、赤く彩られたもの、綾杉文を基調とした装飾が施されたもの、容量19リットル(4升から5升分の炊飯が可能です)の大型のかめなどが折り重なって出土しました。また底に穴を開けられたものが多く、完成した後に更に焼かれた跡が見えます。
 
祈りをこめて華やかに仕上げた器に丹精こめて作った作物を盛り付けてこしらえた捧げ物を前に、いわゆる一つ釜の飯をムラの皆で食べながら歌い踊ります。そして最後に道具類をまとめて廃棄してその上で火を焚くことにより、人のものから神様のものにした。このような祭りの姿が見えてきます。
 
 
関連書籍(表紙をクリックすると全国遺跡報告総覧のホームページが開きます)
  富山市舘本郷U遺跡発掘調査報告書1   富山市舘本郷U遺跡発掘調査報告書
  富山市教育委員会 2011
『富山市舘本郷U遺跡発掘調査報告書1』
  富山市教育委員会 2012
『富山市舘本郷U遺跡発掘調査報告書』