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弥生時代後期から終末期の遺構 |
埋葬施設の周りを方形の溝をめぐらせた方形周溝墓(1辺約8m)が見つかりました。溝は四隅を掘り残したタイプのもので、深いところで約0.3mを測ります。東西2辺の溝のほぼ中央で弥生土器が見つかっています。東側の溝から出土した弥生土器は、壺のくびから上を欠いた状態で逆さになって出土しています。 |
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また、この方形周溝墓の北西約10mに円形周溝墓(直径約11m)が見つかりました。溝は北西の一部が途切れる構造を持ち、県内で唯一発見されていた富山市杉谷A遺跡の円形周溝墓と同じタイプのものと思われます。埋葬施設は、方形周溝墓、円形周溝墓とも墳丘が削られているため残っていませんでした。 |
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これらの墓から東へ約50m離れたところには、直径1.5mから2.3m大型円形土坑が約20基見つかりました(平成7年度調査)。この大型円形土坑は墓穴である可能性が高く、ここに葬られたのは身分の低い一般の村人だったのでしょう。それに対して、方形周溝墓や円形周溝墓に葬られたのはこの地域の有力者だったと考えられます。一般の村人の墓と離れて有力者の方形周溝墓と円形周溝墓が並んで築かれるという様相は杉谷A遺跡にも共通したものです。 |
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これらの墓を築いた有力者は後の古墳時代に築かれる「白岩川流域古墳群」の先駆けとなる勢力を背景としていたと考えられます。 |
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98年度の調査では、方形にめぐる溝から玉作り遺物が多く出土しました。完成した勾玉(蛇紋岩製)のほか、管玉(碧玉製)の作りかけのものや、ヒスイの原石もあります。近くで玉作りを行っていたものと思われます。
弥生土器が大量に投げ捨てられた溝を発見しました。きれいに磨いた土器や、赤彩を施した土器もあります。 |
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