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遺跡全景 |
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遺跡は奈良時代(8世紀初め)・平安時代(9世紀末から10世紀中頃)にかけての集落遺跡です。 |
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奈良・平安時代の遺構には、竪穴住居跡2棟、掘立柱建物跡6棟、穴10ヶ所、井戸1基、溝2本があります。掘立柱建物跡には、住居の可能性が高い3間×2間で長方形平面のもの、倉庫と考えられる2間×2間で正方形平面のものがあります。また、他に2間×2間で長方形平面のものがあり、周辺から瓦塔・緑釉陶器(火舎)、灰釉陶器が出土していることから、瓦塔などを納めた仏教色彩の強い御堂であったことが推測されます。 |
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遺跡は西に射水平野を望む位置にあり、正倉院文書にみる寒江郷を開墾した中核的な村だったと考えられます。 |
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