西金屋窯跡にしかなやかまあと

須恵器を焼いた窯
(富山地域)
四本脚の円面硯
四本脚の円面硯
この窯跡は、奈良時代の中ごろ(約1200年前)に築かれた、須恵器を焼いた窯です。平成5年に、道路建設に伴う発掘調査で、窯の本体の一部と、破損品を捨てた場所である灰原(はいばら)が発見されました。
 
谷の斜面に築かれた窯の床は、強く傾斜していて、下部には排水用の穴が設けられています。
灰原では、多くの層をなして焼き損じた須恵器が捨てられて堆積していました。調査した場所は、他の窯の捨て場にもなっており、すぐ近くに別の窯があることが予想されます。
 
灰原の下には、窯を作る時に使う粘土を採集した穴の跡がいくつもあり、加工した木の杭や墨で「前□」と書いた須恵器も見つかっています。 窯の中や灰原から出土したものには、蓋・杯・壷・大甕のほか、土製の塔の一部や、四本の脚のある円面硯があります。この形の硯は、他に例のない珍しいものです。
 
この窯跡の南側にある、六泉下池の西岸にも、続いて須恵器窯が10か所確認された古沢窯跡があり、奈良時代にはこの周辺で、大規模に須恵器生産が行われていたことがわかります。特にこの西方1.3kmには同じ頃に築かれた栃谷南遺跡の窯跡があります。栃谷では最初の頃瓦が焼かれていました。
 
 
関連書籍(表紙をクリックすると全国遺跡報告総覧のホームページが開きます)
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  富山市教育委員会 2012
『富山市内遺跡発掘調査概要Y』
  富山市教育委員会 2013
『富山市内遺跡発掘調査概要[』