この遺跡は、富山市北部の常願寺川左岸下流、標高6mの微高地上に東西300m、南北700mにわたって広がる縄文から近世の集落跡です。
平成8年度には、ほ場整備に先立ち、用排水・道路部分の発掘調査を行いました。宮条地区の西側を幅6mから8m、長さ600mにわたって調査したところ、調査区全体で中世の溝・井戸・土坑、近世の墓地跡が見つかっています。出土遺物には須恵器・土師器・土錘、珠洲、中世土師器、越中瀬戸、唐津、砥石、銅銭があります。 |
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平成24年度には個人住宅建築工事に先立つ発掘調査を行い、平安時代(約1200年前)の波板状凹凸面を伴う溝、溝、土坑などが見つかりました。出土遺物には須恵器・土師器、中世土師器、珠洲、青磁、越中瀬戸があります。 |
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見つかった波板状凹凸面 |
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波板状凹凸面を伴う溝は、調査区中央部の斜面部分を中心に見つかりました。波板状凹凸面とは、円形や楕円形のくぼみが一定の間隔で並ぶ遺構です。道路遺構に伴うことが多いですが、今回見つかった遺構は、道ではなく地盤を改良する目的か、斜面を上り下りするための足掛けの可能性があります。この遺構が見つかった場所は、波板状凹凸面以外の遺構はほとんど見つからなかったことから、集落の南東のはずれに当たると推定されます。 奈良・平安時代にはこの地域の西方3kmに米田大覚遺跡(新川郡衙)、北東2.5kmに水橋荒町・辻ヶ堂遺跡(水橋駅)があります。官衙(役所)的施設に挟まれた地域として、早くから開発が進んでいたと考えられます。 |
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関連書籍(表紙をクリックすると全国遺跡報告総覧のホームページが開きます) |
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富山市教育委員会 2013
『富山市内遺跡発掘調査概要[』 |
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