金草かなくさ第一だいいち古窯跡こようし

県指定文化財・史跡
(富山地域)
この遺跡は、飛鳥(あすか)時代(7世紀後半)の須恵器(すえき)(硬く焼いた青灰色(せいかいしょく)土器(どき))を焼いた窯跡(かまあと)です。斜面を掘り込んで築いた、全長10.6m、最大幅1.65m、高さ1.4mで半地下式の窯体(ようたい)は、床面の傾斜角度が10度の燃焼部と25度の焼成部に分かれます。窯の焚口(たきぐち)の前にある前庭部は長さ約3m、幅4m超の広がりがありました。
 
窯体のほか、焼き損じて捨てられた多量の須恵器などが厚く堆積した灰原(はいばら)も良好な状態で保存されていたことから、昭和51(1976)年に富山県指定文化財(史跡(しせき))となりました。
 
出土した(つき)(つぼ)平瓶(ひらか)(はち)(かめ)高坏(たかつき)などの須恵器は総数800点を超え、(ふた)の外面に「有大人((鹿ヵ))((大ヵ))」とヘラ書きされたものもあります。
 
呉羽丘陵では須恵器の窯跡が多く見つかっています。最も古い7世紀前半のセンガリ(やま)窯跡(富山市ファミリーパーク内)は標高約45mに立地します。これに対し、越中国(えっちゅうこく)婦負郡(ねいぐん)の役所が生産を主導したと考えられる7世紀後半の金草第一古窯跡(標高約28m)や8世紀の古沢(ふるさわ)西金屋(にしかなや)窯跡群(ファミリーパーク内、標高約20m)は丘陵部の最下部に立地します。
 
窯の立地の変化から、完成した須恵器を流通させやすい平野部付近の傾斜地で徐々に生産を拡大させた役所の意向がうかがわれます。
 
 
関連項目
  富山市考古学NOW 金草第一古窯跡出土線刻文字(飛鳥時代)