この遺跡は、昭和44年から45年の発掘で、全長10.6m・幅1.6m・高さ1.4mの地下式の登り窯であることがわかりました。丘陵の斜面を利用し、床面の傾斜角度が10度の燃焼部と、床面の傾斜角度が25度の焼成部とに区分されており、約1200度の高熱を必要とする須恵器を焼成した窯跡です。 |
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前庭部は長さ約3m・幅4mから5mの広がりを持ち、灰原は約300平方メートルにも広がります。窯体・灰原ともに、当時の状態がよく分かる形で残った貴重な窯跡で、窯の焚き口が北向きという珍しい特徴をもっています。 |
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灰原で発見された数多くの坏・高坏・壺・平瓶・鉢・甕等は、その形式が藤原京で発掘されたものと良く似ており、ヘラで記号を書いた坏蓋も1点発見されています。これらの遺物により、この窯跡は7世紀後半のものと考えられています。 |
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