花ノ木C遺跡は、呉羽山丘陵の西側に広がる境野新扇状地の扇端に位置し、標高は約8mです。 |
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遺跡からは古代の溝跡や中世の溝跡、土坑などが検出されました。
古代の溝跡は、幅約2m、深さ70cmで、溝跡の底近くから、木製の人形4点、斎串1点、曲げ物の底板1点、ほぼ完形品の土師器の長胴甕1点、小型甕1点、須恵器杯2点などがまとまって出土しました。 |
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ほぼ完形に近い人形2点は、ともに顔部分がありません。写真1の人形は、長さ9.8cm、幅2cm、厚さ1mmでとても薄い人形です。手や足は下から切り込みを入れて表現しています。また、手の少し上には、小さな穴がふたつ開いており、そこに紐の痕跡が残っています。足の付け根部分にも穴が開いています。いくつかの人形を縛っていたと考えられます。 |
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写真2の人形は、長さ13.3cm、幅2cm、厚さ2mmで写真1の人形よりも厚く、しっかりしています。この人形も下からの切り込みで手と足を表現しています。腰のあたりはやや膨らんだように作られおり、足の付け根部分を少し切り欠いているので、女性を表現したものかもしれません。この人形にも足の付け根あたりに小さな穴があり、そこにはひもの痕跡が残っています。 |
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写真3の斎串は、長さ16.5cm、幅2.1cm、厚さ3mmで、上下とも尖っています。
これらの人形や斎串はけが穢れをはら祓うまじないに使用されました。豊田大塚・中吉原遺跡(富山市)や北高木遺跡(大島町)などでは人形や斎串とともに、土器に墨で顔を描いた人面墨書土器が出土していますが、本遺跡で出土した土器には、人面が描かれていません。 |
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これらの土器は、人形や斎串といった祭祀具と同時に出土していることや完全な形で捨てられていることから、人面墨書土器と同じように祓いの道具として使用したと考えられます。当時の祭祀のあり方を考える上で重要な意味を持つと考えられます。 |
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また、当時花の木C遺跡あたりは婦負郡の郡域と考えられ、祭祀に携わったのは婦負郡家の関係者と推定されます。 |
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