指定文化財台帳
No.14-1

写真 越中丸山焼 赤絵壺蓋付【拡大】

指定別 種類 有形文化財 種別 工芸品

指定日 昭和38年12月15日 指定号 八尾町指定文化財指定第1号

名称 えっちゅうまるやまやき あかえつぼふたつき
越中丸山焼 赤絵壺蓋付
数量 1点

所有者 深山正道 場所 富山市八尾町深谷

管理者 同上 地目

概要 1.丸山焼について
 文政12年(1829)、婦負郡丸山村の甚左衛門が開窯。当初は経営難に苦しんだが、富山藩主前田利保公が農村振興に意を注いでいたので、産物方の磯野織部、裏預かり役の武川郷右衛門、新番組の安達八郎兵衛、徒頭の杉山小市郎等に命じて甚左衛門を援助した。更に奨励資金として金600両を6ヶ年間無利息で貸与した。これを受けて工場・販路ともに完備された。また利保もしばしば工場に臨んだという。
 敷地は間口40間、奥行37間あり、4間1尺の工場1棟、8間半に6間 の窯場1棟(内部に13の窯を設置した)、方3間の倉庫1棟、住宅を構え た。これらの建物は全部瓦葺きで、白壁を塗っていた。
 陶工は47人雇い入れ、人夫も多数使った。陶工は他国からも多く求めて品質の改良を図った。初めは土焼きに釉を施したものだったが、次第に半透明質の石焼を製出した。工場の完備とともに九谷焼・清水焼に倣い、晩年には有田・平戸などから原料を取り寄せ、伊万里風の物を製した。
 安政5年(1858)、大地震で窯が大破。富山藩家老山田嘉膳の知遇を受けて復旧したが、衰退していった。
 明治3年7月1日、甚左衛門が歿し、子の甚平が襲業したが振るわず、職頭の山岸円四郎に譲って、同18年に一家は富山市小泉町に移住した。
 その後、販路が次第に縮小され、同27年に廃窯した。
 また甚平の子甚八郎は小泉町で小規模な窯を築いて、楽焼風のものを焼いていたが、数年で廃窯した。
 利保が寺西左膳を通じて甚太郎に製陶の技を伝授したという伝えもある。また丸山焼の創設を天保10年とする説もあるが、これは、文政の頃から漸次改良されて、良品が窯出されたと考えられる。
 丸山焼作例は多方面にわたり、磁器・陶器、彩絵・染付が見られる。彩絵は赤・緑・黄の3色で描かれたものが多い。
2.本作品について
 甚左衛門より利保公への献上品と伝えられる。用途としては贈物として、油紙包装した黒砂糖を入れるための容器として作られたと考える。絵付けも鶴亀紋様安南風を施す。
 これは元富山県知事吉田実氏も、丸山焼の逸品として推奨し、長く県知事室に飾られていた。

形状
形式
松竹梅鶴亀紋様、王彩安南風
径:4寸3分。器高:6寸2分。

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