富山市の概要と歴史

Xでポスト
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号1008142  更新日 2024年3月5日

印刷大きな文字で印刷

富山市の概要

富山市の位置等

富山市は富山県のほぼ中央から南東部分までを占め、北には豊富な魚介類を育む富山湾、東には雄大な立山連峰、西には丘陵・山村地帯が連なり、南は豊かな田園風景や森林が広がっています。
市内には神通川や常願寺川など大小の河川が流れ、古くから川で結ばれた文化圏を形成しています。海の幸に恵まれた富山湾から登山家たちを魅了してやまない3,000メートル級の山々までが織りなす自然の姿は、世界第一級の景観をなしています。

地勢と人口

面積
1,241.70平方キロメートル(国土交通省国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」)
人口
413,938人(令和2年国勢調査〈確定値〉)
世帯数
171,917世帯(令和2年国勢調査〈確定値〉)

富山市の沿革

富山市の平野部は、豊かな農耕地帯として、また北陸道などの交通の要衝として古くから栄え、たびたび戦乱の地になっています。
安土桃山時代には佐々成政が富山城に入城し、治水事業を手がけ、農業がますます盛んになりました。
江戸時代になると富山藩十万石が置かれ、薬業や和紙などの産業が奨励され、飛騨街道や北前船航路などの交通・物流網の整備や越中売薬の独特の商法も相まって「くすりのとやま」として全国に知られるようになりました。
明治以降、県庁所在地として、また北陸初の水力発電所が建設されるなど、豊かな電力を基盤とした工業のまちとして順調な発展を遂げましたが、昭和20年8月の空襲により市街地は壊滅的な被害を受けました。
戦後、都市基盤の整備や産業経済の進展により、現在では日本海側有数の商工業都市として発展してきました。
また、平成8年には旧富山市が中核市に移行し、平成17年4月には、富山市、大沢野町、大山町、八尾町、婦中町、山田村、細入村の7市町村が合併し、新しい「富山市」が誕生しました。

富山市の産業等

富山市は全国的に「くすりのまち」として有名ですが、富山に根付いてきたアルミやガラスなどの産業は、売薬事業にルーツがあるものが多くあります。
近年は環境、バイオ、IT関連産業の育成に努めるとともに、立山連峰や越中おわら風の盆といった観光資源をいかした、観光産業の発展にも取組んでいます。
現在、人口41万人の県都として、魅力あるまちづくりを進めています。

富山市の姉妹・友好都市紹介

現在、富山市は4つの都市と姉妹友好都市を結んでいます。

  • モジ・ダス・クルーゼス市(ブラジル連邦共和国)

  • 秦皇島市(中華人民共和国)

  • ダーラム市(アメリカ合衆国)

  • ダボ・リージョナル・カウンシル(オーストラリア連邦)

富山市の歴史

富山市ができるまで

新「富山市」の地域内には、神通川(じんづうがわ)や常願寺川(じょうがんじがわ)など大小の河川がいくすじも流れ、古くから深く結びつきながら発展してきました。

写真:句碑
万葉仮名で書かれた大伴家持の句碑
(婦中町鵜坂)
地図:地域内を流れる1、2級河川
新「富山市」(黄色部分)と
地域内を流れる1、2級河川(青色部分)

8世紀中頃から戦国時代

8世紀中頃、万葉集で有名な大伴家持(おおとものやかもち)が国司(県知事のようなもの)になり、多くの和歌を詠みました。その中で「鵜坂河(うさか)」「売比河(めひ)」「伊波世(いわせ)」などの地名が出てきます。「鵜坂河」「売比河」は現在の神通川だといわれています。「鵜坂」は婦中町の地名に今も残り、「婦負(ねい)」は「売比」が転じたものといわれています。また、「伊波世」は現在の岩瀬一帯だといわれています。
鎌倉時代になると、太田氏がいたち川の南から熊野川の流域あたりまでの常願寺川扇状地(せんじょうち)の一帯を領地(りょうち)としていました。この地域は交通の要衝や穀倉地帯として軍事的な価値が高く、戦国時代に至るまでしばしば戦乱の地となっています。

15世紀中頃から江戸時代

写真:常西用水
佐々堤の一部が底部に残る常西用水
(大山町馬瀬口)

15世紀中頃、神保氏が富山城を築き、井田川とその支流山田川沿いに多くの支城を設けて情報伝達や交易を行っていました。
戦国時代には、有名な武将・佐々成政が常願寺川沿いの佐々堤の建設や神通川水系の改修工事など、わずか数年の間に多くの治水工事を行ったと言われています。

江戸時代から明治時代

写真:神通川の舟橋
越中富山の名所として全国に知られた神通川の舟橋
(売薬資料館蔵)

江戸時代には婦負郡の全域と富山市、大沢野町、大山町のそれぞれ一部分を含んだ富山藩が置かれ、前田氏の所領となります。川を使った交易はますます盛んになり、常願寺川などの治水も本格的に行われるようになりました。陸上交通が不便だったため、神通川水系では河口の岩瀬から上流は婦中町道島、八尾町福島、大沢野町寺津まで、常願寺川水系では河口の水橋から上流は大山町本宮まで水運が行われ、米などの農産物をはじめ、薪(まき)や炭(すみ)、柿などの特産物も運ばれました。人を乗せて運行されることもあり、明治時代後半まで物流・文化交流の主要な交通路として大きな役割を果たしました。
現代では、水力発電、防災、環境保全など結びつきが多面化し、より密接な連携が求められています。

市の木、花木、草花

市の木は「ケヤキ」

ケヤキの写真

「ケヤキ」 日本を代表する広葉樹。
街路・公園のほか、市内では神社や寺院、屋敷林にもよく植えられています。
樹形は逆円錐状の均整美、四季折々の趣きを感じることができます。

市の花木は「ツバキ」

ツバキの写真

「ツバキ」
日本固有の自生種から園芸品種まで多くの種類があり、早春から五月頃まで花を楽しむことができます。
幹の材質は粘り強くて折れにくく、風雪に耐える性質を持ち、市内の多くの民家の庭などで見られます。

市の草花は「ヒマワリ」

ヒマワリの写真

「ヒマワリ」
近年は小輪や大輪の花を咲かせるものがあり、元気で明るいイメージを持つ夏を代表する花で、種には薬効もあるとのことです。

ご意見をお聞かせください。

このページに問題点はありましたか?(複数回答可)

このページに関するお問い合わせ

企画管理部 広報課
〒930-8510 富山市新桜町7番38号
電話番号:076-443-2012
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。