本文へジャンプ
English中文한글Português
サイトマップ音声読み上げ・文字拡大ご意見・ご要望
富山市
文字の大きさ
拡大元に戻す縮小
 

法人番号:9000020162019        
  
ホーム市民の皆さま事業者の皆さま観光・みどころまちづくり・市政
現在位置:HOMEの中の観光・みどころの中の博物館の中の大山歴史民俗資料館から大山歴史民俗資料館 展示案内

大山歴史民俗資料館 展示案内

ご意見をお聞かせください
このページは役に立ちましたか?



 

常設展示

第一展示室

三賢人と文化財

大山地域の三賢人、山岳ガイドの宇治(うじ)長次郎(ちょうじろう)・高野山金剛峯寺(ぶじ)管長の金山穆韶(ぼくしょう)・槍ヶ岳開山の播隆(ばんりゅう)上人(しょうにん)の資料を展示しています。大山地域の文化財を写真を中心にして紹介しています。


三賢人

宇治長次郎金山穆韶播隆上人
宇治長次郎金山穆韶播隆上人
  

文化財

薬師岳圏谷群山門(宝寿院の鐘楼門)五輪塔
薬師岳圏谷群(けんこくぐん)山門(宝寿院(ほうじゅいん)鐘楼門(しょうろうもん)五輪塔(ごりんとう)(富山市牧野)

第二展示室

常願寺川の治水と発電

常願寺川の水害と治水・発電についての資料を中心に展示しています。
治水では、明治時代のオランダ人技師ヨハネス=デ=レイケ等を取り上げています。 
屋外展示として正面には直径約4メートルもの巨大な水車があります。水力発電で実際に使用されていたものです。
 
水車
  

第三展示室

有峰、大山地域の鉱山・恐竜

有峰の歴史と文化についての資料から、そこで暮らした人々の生活を探ります。
大山地域の鉱山、亀谷(かめがい)銀山・長棟(ながと)鉛山のかつての繁栄を知ることができます。
大山地域で見つかった、恐竜の足跡化石や歯の化石などを見ることができます。


有峰狛犬(サル) 有峰東谷の宮に置かれていた4対8体の狛犬(こまいぬ)
有峰の狛犬(通称サル)
富山市指定有形民俗文化財
年代:1334年頃
材質:ヒノキ科の一種



企画展

大山歴史民俗資料館では毎年、企画展やミニ企画展を行っています。

終了した企画展  終了した企画展
  こちらをご覧ください    


大山歴史民俗資料館をもっと知る

三賢人

山の名ガイド 宇治長次郎

明治4年(1871)12月23日―昭和20年(1945)10月30日

明治40年(1907)、その険しさから針の山とおそれられていた(つるぎ)岳へ陸軍陸地測量部の柴崎測量隊が宇治長次郎を案内人として(いど)み、見事に測量登山としての初登頂(はつとうちょう)を果たしました。
明治42年(1909)に再び、吉田孫四郎(まごしろう)一行による民間登山者を案内して剱岳登頂へ導き、近代登山の幕を開きました。
大正9年(1920)から(かんむり)松次郎(まつじろう)と共に人跡未踏(じんせきみとう)であった秘境黒部(きょう)(こく)上廊下(かみのろうか)下廊下(しものろうか)、剱大滝など、黒部川全域を探索しました。
山をよむ力や脚力に優れ、登山には協調が重要であると仲の良さを身をもって示しました。誰もが認める名ガイドとして生涯を送りました。
 立山山麓家族旅行村の宇治長次郎顕彰碑

宇治長次郎顕彰碑(立山山麓家族旅行村)


槍ヶ岳開山・笠ヶ岳再興 播隆上人

天明6年(1786)―天保11年(1840)10月21日

江戸時代後半、富山市河内(かわち)(旧大山町河内)に農家の次男として生れました。10代後半で富山を離れ、浄土宗の僧侶(そうりょ)となって各地で修行を重ね、信仰のため厳しい山々へ登り、美濃や飛騨などで布教活動を続けました。文政6年(1823)、百年間途絶えていた笠ヶ岳を再興し、その時対峙(たいじ)している槍ヶ岳の開山を決意。
今から約190年前の文政11年(1828)、播隆上人によって槍ヶ岳の開山がなされました。天保11年(1840)信徒(しんと)により槍ヶ岳山頂に鉄鎖がかけられ、大願(たいがん)成就(じょうじゅ)ました。

槍ヶ嶽絵図 飛州新道から見る槍ヶ岳
槍ヶ嶽(やりがたけ)絵図
槍ヶ岳周辺(右上に槍ヶ岳)を描いた地図で播隆筆とされる。天保6年(1835)に生家宛の書簡に同封されていました。
 飛州(ひしゅう)新道から見る槍ヶ岳
文政9年(1826)、播隆は槍ヶ岳を目指して建設途中の飛州新道を経て松本に向いました。


真言宗管長 金山穆韶

明治9年(1876)10月30日―昭和33年(1958)6月11日

明治9年、富山市文珠寺(もんじゅじ)(旧大山町文殊寺)に生まれた金山穆韶は13歳で上市町の大岩山(おおいわさん)日石寺(にっせきじ)に入門しました。
明治30年(1897)、22歳で高野山(こうやさん)大学に入学し、明治38年(1905)には高野山大学教授に就任しました。
昭和15年(1940)から20年(1945)まで高野山大学長としての重責を果たしました。戦時体制下、他大学との合併を政府から指示されましたが、大学の伝統を守り、真の宗教家を養成するには大学の独立が大事と考え大変な苦労をして高野山大学の独立を守りました。真言宗の理論を極め修業でも並ぶものがなく昭和28年(1953)、高野山真言宗管長金剛峯寺(こんごうぶじ)座主(ざす)に就きました。
また、北陸の高野山として倶利迦羅(くりから)不動寺(ふどうじ)の復興に尽力し、昭和33年(1958)天徳院(てんとくいん)遷化(せんげ)。戒律を守り厳しい師でしたが無欲で質素な生活に満足し、愛情深い人間味あふれる人柄でした。
 倶利迦羅山不動寺の金山穆韶像

倶利迦羅不動寺の金山穆韶像



印刷用にコンテンツを抽出
富山市役所 〒930-8510 富山県富山市新桜町7番38号 電話番号(076)431-6111(代)
【窓口受付時間】午前8時30分から午後5時15分(月曜日から金曜日)
前のページへ戻るページの先頭へ
プライバシーポリシーこのサイトについて窓口・受付時間地図・交通アクセスホームページに対するご感想など
立山あおぐ特等席。富山市Copyright(C) TOYAMA CITY All Rights Reserved