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第四十号
平成12年4月21日
●収蔵品紹介  ●桜橋の歴史と登録文化財
●登録文化財とは?



桜橋
桜橋

 桜満開のなかの桜橋です。毎日、多くの人が行き交うこの橋は、平成11年11月に国の登録有形文化財として登録されました。富山市内では、富山市陶芸館、旧内山家住宅(主屋ほか13棟)、旧金岡家住宅(主屋ほか4棟)に次いで4件目の登録になります。
 今回は、この場所に初めて桜橋が架けられてから、文化財登録までを追ってみることにしましょう。




架橋出願

 明治時代、神通川(じんづうがわ)はまだ城址の北側を蛇行して流れていました。当時、市街で唯一の橋梁であった神通橋は西に偏っていたため、東部の住民が神通川を渡るためには、神通橋まで大きく迂回しなくてはなりませんでした。そこで、この不便さを解消するために、明治34年に木町より愛宕(あたご)新遊郭に至る新橋を賃取橋として架橋したい旨が出願されましたが、これは許可されませんでした。その後も、再三の出願にもかかわらず、なかなか許可はおりなかったのです。
明治33年富山市街図
明治33年富山市街図
城址の北を神通川が蛇行している。
橋は神通橋(矢印)だけである。

富山市街及び附近図 桜橋架橋

 明治39年に富山ホテルの主人源金一郎が独力で、ホテル裏から愛宕新地(遊郭)まで架橋したい旨の出願をしました。これがようやく許可され年末に竣工となりました。流水部の長さ45間(約81m)、幅10尺(約3m)の無賃通行橋でした。通行量は多く、特に明治41年に富山駅が現在地に移転してからは、神通橋より多い時もあったようです。しかし、この橋は同43年の神通川出水の際に流出してしまいました。
富山市街及び附近図
明治41年頃。「愛宕免許地」が遊郭。
桜橋の左方に「富山ホテル」も見える。

施設桜橋架橋

 流出後、しばらくは仮橋が架けられていました。しかし、大正2年に一府八県連合共進会(きょうしんかい)(会場は現富山いずみ高校)が開催されることに決定したため、駅と会場を結ぶ近道の新設に伴い、今度は市費により桜橋が架設されることになりました。大正2年7月18日に渡橋式が行われています。橋梁の長さは80間(約144m)、幅19尺5寸(約5.8m)でした。また、同時に開通した市内軌道(市電)の専用橋も併設されました。しかし、この橋も翌年には神通川の大出水により流出してしまいました。同年中には改築工事が竣工しています。
市設桜橋
市設桜橋
大正3年頃。橋の手前が木町。奥が富山駅方面。人や大八車が行き交い、横には市電が走る。

大正14年富山市街図 桜橋売店

 神通川の馳越線(はせこしせん)(現在の流路)工事の結果、大正10年に蛇行した旧路と馳越線との間を堤防で締め切りました。このため、旧路は広大な廃川地(はいせんち)となりました。大正14年の市街図には、「桜橋売店」とあります。恐らく、橋に続く土手に「船橋売店」と同様の売店が並んでいたのでしょう。(「博物館だより第31号」参照)
大正14年富山市街図
「桜橋売店」とある。その上に架かっているのが桜橋。

永久橋 桜橋架橋

 昭和になり、廃川地は埋め立てられ、神通川の旧路の一部は松川として残されることになりました。そして、昭和10年、元の場所には、都市計画事業の一環として、新たに永久橋「桜橋」が架設されました。軌道(市電の線路)は橋中央に設けられました。これが、現在の桜橋です。
昭和10年富山市全図(部分)

永久橋

木橋を除く、石橋・コンクリート橋・鋼橋などの総称
昭和10年富山市全図(部分)
都市計画により、新たに架けられた桜橋(矢印)。

架橋された頃の桜橋
架橋された頃の桜橋

登録文化財 桜橋

 平成11年11月18日、桜橋は国の登録有形文化財として登録されました。桜橋が後世に残したい文化遺産として認められたのです。橋梁の登録は県内では初めてのことですし、また鋼アーチ橋としては全国初の登録になります。それでは、桜橋とはどんな橋なのでしょうか。
昭和10年近代都市計画事業の一環として松川に架設
長さ約16m 幅約22m 鋼2ヒンジアーチ橋 広幅斜橋
つまり、桜橋は
(1)都市計画事業により出来た松川に、昭和10年に架けられた鋼製の橋である。
(2)都市計画道路の幅に合わせたため長さより幅のほうが広い。
(3)道路線形に合わせたため、川に対して斜めに架けられている。
(4)左右2か所のヒンジが橋を支える構造になっている。
 ※昭和初期に盛んだった工法で、現存している例は珍しい
という特徴を持つ橋だということです。


洒落た欄干 鋼製アーチ
洒落た欄干であるが、これは戦後になって取り付けられたもの。 リベット打ちの鋼製アーチが美しい。
橋詰に建つ電気ビル ヒンジ
橋詰に建つ電気ビルは桜橋の翌年に建設された。 ヒンジとは蝶番(ちょうつがい)の原理で、これを使うことにより壁面にかかる負担が少なくなる。
桜橋
橋上には市電・自動車・人が行き交い、橋下には観光遊覧船が過ぎていきます。桜橋は、その姿形の美しさから、市民に親しまれると同時に、観光的資源としても活用されています。

 それでは、桜橋も登録された「登録有形文化財」とは何なのでしょうか。
 私たちの周りには、街中にある身近な建造物であっても、デザインが優れていたり、再現することが困難なものがたくさんあります。近年、特に近代以降の建造物が次第に姿を消しつつあります。こうした建造物を文化財として守り、資産として活かすことを支援する、新しい考え方の制度が「文化財登録制度」です。平成8年11月に第一次の登録が行われました。この制度の新しいところは、文化財を自由に活用できることです。外観を大きく変えなければ、内部を改装してホテルや資料館などとして利用することができます。つまり文化財を積極的に活用しながら、ゆるやかに守ってゆく制度なのです。文化財として登録されると、事業資産としての有効活用を支援するための、様々な優遇借置を受けることが可能となります。登録制度の対象となるのは、建築後50年を経過した建造物で、広く親しまれていたり、そこでしか見られない珍しい形をしているものなどです。
登録有形文化財プレート

登録有形文化財プレート

登録されたことを広く知ってもらうために建造物に取り付けられる。写真は富山市陶芸館のもの。







 私たちの身近にある文化遺産たち。ただ古いというだけではありません。そこには、建造に関わった人々の歴史、工法やデザインなどの技術面の歴史、建造後その利用を通じて人々の生活に溶け込んでいった歴史など様々なものが詰まっています。私たちには、先人から受け継いだ遺産を、子孫たちに残していく義務があります。桜橋はだれでも自由に近付くことができる登録文化財です。歴史を顧みながら、ぜひ、一度ゆっくり眺めてみてください。そして、身近な文化遺産について、ゆっくり考えてみてください。
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←博物館だよりINDEXへ戻る (記:河西 奈津子)