富山市民俗民芸村
 
       
 



 篁牛人は、卓越した技術によって、独自の画境を創出し、日本画
 壇の中でも、ひときわ異色の存在として注目される画家です。  

 作品は、日本や中国の故事・伝説などを主な画題として、高い精
 神世界を画面上に展開しています。  

 彼は
(かっ)(ぴつ)()(ほう)という、にじみを極力使わずに墨を描画紙にすりこ
 むようにして描く独自の方法と、弾力のある長く細い線を描き、豪
 放で美しい独自の世界を構築しました。
 
 
 略年譜

篁牛人略年譜

 

 

(1901〜1984)

 

 

篁牛人・・・「卓越した技術によって独自の画境を創出し、日本画壇の中でも、ひときわ異色の存在として注目を集める水墨画家」

 

 

 

1901

(明治34)

10月10日、富山県婦負郡桜谷村大字石坂村(現在富山市石坂)に生まれる。

1921(大正10)

20歳

富山県立高岡工芸学校本科図案科を卒業(卒業後は、図案の仕事や小学校の代用教員などの職につく)

1927(昭和2)

26歳

高岡工芸学校の卒業生で組織する「富山工芸会」に参加する。

1929(昭和4)

28歳

商工省工芸展覧会に共同制作(図案担当)による工芸作品を出品し、数々の受賞を重ねる。

1934(昭和9)

33歳

スペインの画家ピカソなどの影響を受け、画家となることへの願望を募らす。

1938(昭和13)

37歳

藤田嗣治の絵画のマチエールの美しさに感動する。

1939(昭和14)

38歳

民芸木工家、安川慶一氏の紹介で、柳宗悦や棟方志功などの民芸連動家達を知る。

1940(昭和15)

39歳

この頃、図案の制作だけでは満足できないことをますます痛感し、しだいに絵画に専念しはじめる。

1944(昭和19)

43歳

召集により、入隊。シンガポール、マレーシア、タイなどを転戦する。(この時にスケッチした南方の風物を後年画題として多く扱う)

1947(昭和22)

46歳

薄手の麻紙に初めて渇筆画を描き始める。

1949(昭和24)

48歳

生活が困窮しはじめ、麻紙が購入できず、渇筆画の制作を中断する。

1951(昭和26)

50歳

富山市呉羽町安養坊(現在の美術館敷地)に移り住む。

1956(昭和31)

55歳

この頃から放浪的な生活を約10年間続ける。(富山県、岐阜県の個人宅を転々として制作する。)

1962(昭和37)

61歳

最高の理解者であり、最大の後援者であった森田和夫氏(富山市呉羽町在住の医師)を知り以後親交を深める。

1964(昭和39)

63歳

自宅裏の粘土を用い塑像作品を制作する。

1966(昭和41)

65歳

越前の手漉麻紙を入手し、渇筆画の大型作品を盛んに描く、富山県民会館で大規模な個展を開催し、好評を得る。会期中、美術評論家の河北倫明氏の訪問を受け、創作に一層の意欲を示す。

1970(昭和45)

69歳

東京で大きな個展を開催し、その異才が注目される。

1975(昭和50)

74歳

脳梗塞症により倒れ、療養に専念するが、以後は制作が困難となる。

1981(昭和56)

80歳

京都で「異色の水墨画家展」が開催され、彼の画業が高く評価される。

1982(昭和57)

81歳

富山県立近代美術館で彼の作画活動の全貌を伝える展覧会が開催される。

1984(昭和59)

82歳

2月25日死去する。

1985(昭和60)

 

(森田和夫氏が富山市に自己所有の篁牛人作品252件を寄贈し、このことが美術館建設の契機となる。)

1989(平成元年)

 

(10月3日、富山市篁牛人記念美術館が開館する。)


 
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