安田城は、本丸、二の丸、右郭の三つの曲輪から構成されています。
安田城の縄張り図をよく見ると、本丸が整然とした方形であるのに対し、二の丸および右郭は不整形であり、両者の主軸には約30度のズレが認められます。
また、出土遺物には、戦国時代のもののほか、鎌倉時代後半にさかのぼるものが出土しています。
以上の点から各曲輪の成立には時期差があると推測され、これについては2通りの説があります。
1つ目は、昭和53年の試掘調査の時に出された説で、鎌倉時代に在地武将の居館として本丸がすでに存在しており、それが戦国時代の動乱期を背景として、二の丸および右郭が新たに追加され防備を固めたと推定するものです。
これに対し、2つ目の最近の研究成果による説は、不整形の曲輪による2郭構造の城郭が県内の在地武将の居館(高岡市木船城など)で古くから使用されていたことから、最初に在地武将の城として二の丸および右郭が築かれ、その後、天正13年に前田利家が本丸を追加して改修したと推定するものです(図1)。 安田城の縄張
2説は、もとからこの地にあった在地武将の居館が戦国時代に改修されて3郭構造の城となったとする点は一致しますが、曲輪が築かれた順番については見解が分かれます。
  図1 安田城の縄張
【参考文献】
富山県教育委員会 1979年 『富山県ほ場整備関連事業埋蔵文化財発掘調査概要 婦中町安田城跡 魚津市佐伯遺跡』
古川知明 2007年 「慶長期富山城内郭の系譜-越中における聚楽第型城郭の成立と展開-」『富山史壇』153 越中史壇会