西ノ丸の発掘
内堀の発掘(2011年度調査)
 
敵の侵入を防ぐために城の周囲に掘られた溝を堀といい、土塁や石垣とあわせて防御を担う施設です。富山城の内堀・外堀のほとんどが明治時代から昭和30年代までに埋められたため、現存する堀は本丸・西ノ丸の南側(内堀の一部)のみです。

平成23年12月から平成24年1月に西ノ丸の北西部(鉄門から北西約270m)の内堀部分の発掘調査を行いました。

その結果、現地表面から5.8m下(標高2.0m)で、堀底を確認しました。富山城の調査において、堀底を確認したのは今回の調査が初めてです。

内堀は、底が水平な箱堀であることがわかりました。西ノ丸には、かつて高さ約4mの土塁が存在しており、堀底から土塁の頂部までは約11mの高低差であったと推定されます(図1)。
江戸時代の絵図(「万治年間富山旧市街図」)との照合の結果、今回確認した堀跡は初代富山藩主前田利次が寛文元(1661)年に改修した堀跡と考えられます。

また、西ノ丸が絵図よりも約12m北側に広がり、西ノ丸の規模が約600平方メートル広いことが分かりました。
(堀内)
内堀と松川(旧神通川)との関連模式図
図1 内堀と松川(旧神通川)との関連模式図
 
「万治年間富山旧市街図」 (部分)[富山県立図書館蔵]
図2 「万治年間富山旧市街図」 (部分)[富山県立図書館蔵]
 
調査位置
調査位置
 
堀底の状況
堀底の状況
地理編2「西ノ丸西掘発見の樹木根」