本丸の発掘
本丸北東部の発掘(2014年度調査)
 
平成26年度に城址公園の北東部で行った調査で、ここは江戸時代に存在した本丸御殿の北東側にあたります。
調査では2層の遺跡面を確認しました。
上層は江戸時代から明治時代の面で、金屋石(かなやいし)製の井戸が見つかりました。金屋石は県西部の庄川(しょうがわ)上流の砺波(となみ)市金屋で採掘され、19 世紀中頃から導水管が金沢辰己(たつみ)用水や黒部十二貫野(じゅうにかんの)用水で使われたことはよく知られています(帯磁率「金屋石」)。富山城ではこれまで城下町での出土例はありましたが、城内で確認されたのは初めてです。
下層面は戦国時代と推定される面で、柱穴、溝等を検出しました。柱穴は、底面を円形に掘り窪め、中に小さな石を詰めています。規模は不明ですが、掘立柱建物が存在していたことがわかります。柱穴の東側で検出した南北に延びる溝は、敷地を区切る区画溝の可能性があります。
本調査区の北側で行った平成25年度調査では、戦国時代から江戸時代まで4層の遺跡面を確認しており(本丸の発掘「本丸北東部の発掘(2013年度発掘)」)、今回の調査によって、本丸北東部のさらに詳しい土地利用の様子を明らかにすることができました。
(野垣)
全景と柱穴 金屋石製の井戸
調査区の全景と柱穴(北東から) 金屋石製の井戸