本丸の発掘
本丸北西部の発掘(2008年度調査)
   
本丸北西部で行った調査です。16世紀後半から17世紀の下層面(写真1)と明治時代の上層面の2層の遺構を検出しました。

16 世紀後半は、薄い盛土を何層にも行う整地層を検出しました(写真2)。中世富山城期の通路面や土塁の基礎盛土等の可能性があります。

16 世紀末から17世紀前半の土坑からは焼塩壺(やきしおつぼ)の身・(ふた)合わせて10 点が出土しました(写真3)。焼塩壺は粗塩を入れて焼き、塩を精製するための土器です。富山城・城下町ではこれまで19点出土していますが、うち11点が本丸で見つかっています。階層の高い人物がいる場所で見つかることが多く、一種の「贅沢(ぜいたく)品」とみられます。
写真1 調査区の全景
写真1 調査区の全景(下層面)
上層面は、明治時代の石組溝と廃棄土坑があります。石組溝は排水路で、本丸から内堀へ水を流していたと考えられます。

廃棄土坑からは、焼けた土とともに瓦・釘・土壁等が出土しました(写真4)。明治32年に焼失した土蔵等に使われていたと考えられます。この時期の建物の構造を知るうえで貴重な遺物です。   (野垣)
写真2 整地層の断面
写真2 整地層の断面
写真3 出土した焼塩壺 写真4 廃棄土坑出土遺物
写真3 出土した焼塩壺 写真4 廃棄土坑出土遺物