西新庄のすすき地蔵
戦国末期の供養塔

富山市西新庄の正願寺前にすすき地蔵と呼ばれる地蔵尊があります。
2007年4月、薄地蔵尊の整備のため祠を解体したところ、文字を彫り込んだ石塔が現れたため、その由来を調査することになりました。
(1)主尊 阿弥陀三尊を梵字種子薬研彫陰刻により、上部に表現
(2)寸法 高さ1.54m(5尺1寸)、幅0.70m(2尺3寸)、厚さ0.38m(1尺2寸5分)
(3)石材および素材 石英粒・長石粒を含む安山岩の河川転石
(4)銘文 正面下半と両側面に楷書文字列を陰刻。

【正面】中央に縦に大きく「三界万霊平等利益」の願文。その両側に3列ずつ文字列があり、上部は5名に「上人」、1名に「居士」の称号をつけた人物名。その下部は10文字づつの漢字。

【右側面】2列の文字列。右列には「□□宗本少善法父泉春」、左列は「花厳□□ 太正山太房ト小法師菊」とあり、5人の僧名および法名がみえる。

【左側面】中央上部に大きく「春海上人父母」、その下に道惟など6人の法名と父母が付される。左下方には、「弘治四年四月十六日」の年紀が彫られ、1558年が造立年代であることを示す。


この石塔の形式は、塔頂部が山形で、表面が平滑に整形され、阿弥陀三尊梵字種子の下に願文・偈文が印刻された自然石梵字板碑・阿弥陀三尊種字板碑に分類され、内容としては「三界万霊塔」とよばれる供養塔の一つに分類されます。
正面下部の銘文のうち、僧侶名の下にある不明の文字群は、2文字づつの信徒法名とみられます。途中には父母の文字もあり、計32名分の名前と6人の僧が記されていることになります。
この時期には、1つの石塔の造立を、同一教団の複数の信徒(結衆)が集団で行うことが流行します。ここではその引導に複数の僧侶が関係したと推定されます。
富山では浄土真宗が発展していましたが、真宗ではこのような石塔造立を行いません。おそらく禅宗系統の宗派が行ったとみられますが、特定は困難です。

薄地蔵は、これまで上杉・一向宗による元亀3(1572)年尻垂坂の合戦の戦死者の首塚あるいは経堂の浄土(出)寺境内に建てられたものを移転した、との伝承がありましたが、その造立は合戦より14年古いことがわかりました。ここに建てられた経緯は不明ですが、これまでの調査により、禅宗系統の一結衆が法界霊・先祖霊の供養とともに、現当二世において功徳を得ようとする目的で共同造立を行った逆修板碑であることが推定されます。
(古川)
薄地蔵本体
薄地蔵本体
薄地蔵実測図
薄地蔵実測図