射水市櫛田神社参道の石垣石材
   
射水市大門の延喜式内社櫛田神社には長い参道があります。この参道の右手奥には、力比べに使った「盤持石」が展示された庭園があります。この園路のベンチや縁石として使われている石の中に、10個の石垣石材があります。
10石のうち9石は花崗岩の玉石を割ったもので、表面に複数の矢穴痕や、平面に整えるためのハツリ痕が残っています。うち2石には20cmほどの大きさの刻印が彫られています。刻印は扇形と丸に十の記号です。
櫛田神社の石材
櫛田神社の石材
残る1石は、高岡氷見海岸部に産出する石灰質砂岩の割石で、矢穴はなく、断面V字状に掘り下げて端材を割り取る「溝切り技法」の跡がみられます。
花崗岩石材は、小型刻印の存在から、江戸初期の慶長期頃の石材と考えられます。このような石材は、高岡城・富山城・魚津城以外にはなく、所在する位置からみて、最も近い高岡城から持って来られた可能性が高いといえます。
石垣石材1の刻印
石垣石材1の刻印
石垣石材2の刻印
石垣石材2の刻印
石垣石材1の矢穴
石垣石材1の矢穴
昭和42年和田川改修工事の際、多数の護岸石材が掘り上げられました。当時この一部が串田集落に運ばれ、民家の石垣に使われたことが『大門町史』に記されています。この護岸石材は、明治6(1873)年に高岡城石垣を解体し、和田川護岸改修工事に使ったものであるとされています。2004年には和田川河川敷に残っていた護岸石が高岡城内に運ばれ展示されました。これらは間違いなく高岡城石垣の石材です。
櫛田神社の石垣石材も、和田川から運ばれた旧高岡城石垣石材だと考えられます。
(古川)