Q.5なぜ富山城は火事になったのですか?
A 北陸は海と高い山があり、フェーン現象がよく起きます。江戸時代も同様で、現在のように防火対策が行き届いていませんので、いったん火災になれば、風により周囲に広がるケースがほとんどでした。特に当時の家は木造で、屋根もいたきで燃えやすい素材であったことから、いったん火が付くと消すことは困難でした。

利長の築いた富山城は、家屋の密集した城下町と近く、城のすぐ東側のいたち川べりの民家から出火した火が、瞬く間に燃え広がって、火の粉が風に乗って城にまで届いたため、城も全焼したとみられます。江戸時代には富山城下町から何度も出火し、そのたびに城下町や城のほとんどが全焼するといった事態になっています。

このため、富山藩に関する重要な文書資料の多くが焼失し、その歴史に不明な箇所が多くなっています。

利長は、城の全焼にたいへんなショックを受け、その心情をつづった手紙を多く残しています。次に作った高岡城の水堀がとても広いのも、火の粉が飛んでこないよう富山城での経験を生かした対策だったと考えられます。