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富山市郷土博物館のメイン展示室の富山城模型は、富山藩政期の城郭を復元したものです。 |
埋蔵文化財センターでは、このたび「越中と美濃を結ぶ考古展U」開催にあたり、慶長期富山城の復元模型の制作を試みました。
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ベースは、古絵図「越中国富山古城之図」(金沢市立玉川図書館蔵)です。この絵図は、慶長期の城が焼失してから約40年ほど経過した図ですので、その間の変化や絵図の縮尺・変形を想定し、原形を推定してみたものです。 |
絵図との大きな違いは、後の東出丸にあたる「薪丸」の形です。これは絵図の縮尺と、絵図に記載された寸法が合わないため、記載された寸法をもとに曲輪の形を見直したものです。 |
石垣上には、出土した梅鉢文瓦を葺いた櫓が存在していたと考え、櫓門や隅櫓を設置しました。喰違土塁の間にあった大手門などは、どのような形態であったかわかりませんが、絵図の土塁位置を忠実に検討した結果、ちょっと無理な形になってしまいました。 |
縮尺は1,000分の1です。ただし土塁・石垣・櫓の高さは500分の1にして、メリハリを付けてみました。櫓の瓦は、出土した瓦から金箔瓦に復元し、軒先を金色にしてみましたが、見えるかな?
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この復元について、埋蔵文化財センターへご意見をお寄せください。 |
(古川)
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(→慶長期富山城内郭の系譜を考える(1)) |