この瓦は黒を基調とした本瓦葺きの燻し瓦で、瓦当文様は円形文を6つ組み合わせた無剣梅鉢文(星梅鉢文)です。これは家紋をかたどった家紋瓦とみられます。加賀藩主の前田家一族は美濃に居住していたころから菅原道真を天神様として仰ぎ、利家以降梅鉢文を家紋として使っていたようです。 |
寛永1(1639)年富山・大聖寺の分家が成立したため、中央と周囲の花弁間に軸を加えて、加賀・剣梅鉢文、富山・丁子梅鉢文、大聖寺・瓜実梅鉢文に分けました。 |
これまで富山城で確認されていた軒丸瓦の瓦当文様は丁子梅鉢文のみで、今回出土した無剣梅鉢文の瓦は、分藩以前の瓦と推定されます。
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前田利長は加賀藩主時代、徳川家を意識してか家紋瓦を使っていなかったようです。金沢城からはまだ花弁面の平坦な無剣梅鉢文の瓦は出土しておらず、利家以来の三巴文が使われていたと推定されています。利長は富山へ隠居して初めて家紋瓦を使い、前田家統治を強く意識させたと考えられます。
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