慶長期の富山城瓦

(1)軒丸瓦と軒平瓦
出土した軒丸瓦
出土した軒丸瓦

この瓦は黒を基調とした本瓦葺きの燻し瓦で、瓦当文様は円形文を6つ組み合わせた無剣梅鉢文(星梅鉢文)です。これは家紋をかたどった家紋瓦とみられます。加賀藩主の前田家一族は美濃に居住していたころから菅原道真を天神様として仰ぎ、利家以降梅鉢文を家紋として使っていたようです。

寛永1(1639)年富山・大聖寺の分家が成立したため、中央と周囲の花弁間に軸を加えて、加賀・剣梅鉢文、富山・丁子ちょうじ梅鉢文、大聖寺・瓜実うりざね梅鉢文に分けました。

これまで富山城で確認されていた軒丸瓦の瓦当文様は丁子梅鉢文のみで、今回出土した無剣梅鉢文の瓦は、分藩以前の瓦と推定されます。

前田利長は加賀藩主時代、徳川家を意識してか家紋瓦を使っていなかったようです。金沢城からはまだ花弁面の平坦な無剣梅鉢文の瓦は出土しておらず、利家以来の三巴文が使われていたと推定されています。利長は富山へ隠居して初めて家紋瓦を使い、前田家統治を強く意識させたと考えられます。
出土した軒平瓦
出土した軒平瓦

また、一緒に出土した軒平瓦は、製作技術の共通性から、この無剣梅鉢文軒丸瓦とセットになることがわかりました。軒平瓦の一部には隅瓦と推定される、底面角が扇形に削り取られているものがあります。

慶長後期の瓦は、利長が築いた慶長期富山城石垣上に櫓建物が築かれていたことを示しています。これは柱を置くホゾ穴が彫り込まれている慶長期の天端角石が今回初めて発見されたことからも裏付けられます。
(稲垣・古川)