城下町の発掘調査
一番町地区の発掘(2006年度調査)
(8)上野・高取系陶器

富山城下町からは、産地不明の施釉陶器が出土しています。
この陶器は、鉄釉がかかる甕で、口縁がT字状・頸部が短く直立する特徴があります。
このような特徴をもつ陶器は、「上野・高取系」とされ、北部九州で生産されたものであることがわかってきました。

この甕は、近年北海道の各地で多く発見され、幕末蝦夷地の状況を特徴づける陶器の一つとして知られるようになりました。その分布は、津軽や日本海沿岸部に広がり、南限は加賀となっています。

富山城下町でも数個体が発見されており、大甕と中甕があります。
大甕は、口径・高さが30cm前後で、これまで、瀬戸あるいは唐津の一種としていたものです。釉薬は飴色の鉄釉で、口縁の釉薬はふき取られています。内面は口縁上部のみがかかっています。 
口縁上面は、等間隔に6箇所がくぼんで、剥離した痕跡があります。これは胎土目積みにより、口縁同士を合わせて焼いた跡とみられます。内底部には小形製品を入れて焼いたとみられる溶着跡が確認できます。このような重ね焼きの手法もこの上野・高取系陶器の特徴です。
中甕は、口径・高さが15cm前後で、胎土に砂粒が多いことから越中瀬戸としていたものです。
口縁や内面もすべて釉薬がかっています。越中瀬戸で模倣したことも考えられます。

上野・高取系陶器は、蝦夷地において、特に中甕は多く骨蔵器として使用されました。富山城下町で出土したものは、そのような使用方法はされていないようで、食品貯蔵などに使われたことが推定されます。

上野・高取系甕の主な移出先は蝦夷地(北海道)で、塩や味噌を入れた蝦夷地向けの商品として北前船により運ばれたと考えられています。本州各地の出土品は、北前船寄港地からほど近い場所から出土するものが多く、北前船との関係を示唆しています。

*北海道松前町教育委員会 学芸員 佐藤雄生さんのご教示による。
(古川)
富山城下町出土の上野・高取系甕
富山城下町出土の上野・高取系甕