城下町の発掘調査
二番町地区の発掘
(2004年度調査)

2004年に行われた富山市総曲輪地内(現グランドパーキング)の発掘調査では、17世紀代の城下町遺構が検出されました。わずか130平方メートルの小発掘でしたが、1640年から1650年代の井戸・溝と、1663年から1690年代の井戸・溝・ゴミ穴が確認されました。本調査は、富山城下町を対象にした初めての調査です。

出土した陶磁器などの年代から、前者は『越中国富山古城之図』正保4(1647)年での町屋敷に、後者は『万治年間富山旧市街図』(1658年から1661年)・『寛文六年十月御調理富山絵図』(1666年)での中級藩士(馬廻組150石)岩田宇兵衛屋敷に伴う遺構群と判断できます。

1.町屋敷段階の様相
富山に初期伊万里(1650年以前のもの)が流通する以前(1640年から1650年代)の遺構群です。
敷地は溝により他と区画され、敷地内では井戸が繰り返し造られていました。井戸が使えなくなった後は放置され、ゴミ捨て穴として利用されました。
町屋敷の性格を絵図からうかがうことはできませんが、絵唐津を含む唐津・備前・青花(中国製染付)など高級陶磁が出土していることから、屋敷の主は商家を営んでいた可能性があります。

2.岩田宇兵衛屋敷段階の様相
初期伊万里が富山に流通するようになった1650年代以降の遺構群です。『万治年間富山旧市街図』・『寛文六年十月御調理富山絵図』に記された岩田宇兵衛(寛文3(1663)年生)の屋敷にあたり、1663年から1690年代のうちに形成されたと判断できます。肥前陶磁(唐津・伊万里)・織部などの高級陶磁器の他、地元の越中瀬戸が多量に出土しました。キセルや水引など当時の生活文化を伝える遺物も出土しています。
岩田宇兵衛屋敷出土水引
岩田宇兵衛屋敷出土水引
岩田宇兵衛は『富山藩武鑑』(貞亨3(1686)年)・『正甫公御代分帳』(元禄3(1690)年)に馬廻組150石とあり、富山藩では中級藩士に相当します。

3.岩田宇兵衛屋敷以後の様相
岩田屋敷では18世紀に下る出土品が出土していないことから、1690年代に廃絶したと考えられます。これ以降の出土品には19世紀前半の伊万里などがあり、それらは御郡役所(『富山城下絵図』天保2(1831)年)・『越中富山御城下絵図』安政元(1854)年)段階に使われていたものと考えられます。役所施設に関する遺構は検出されませんでした。
調査区全景
調査区全景
  越中瀬戸、 肥前陶磁(唐津・伊万里)
越中瀬戸
肥前陶磁(唐津・伊万里)