富山城の割石技術
(9) 割らない石

富山城搦手石垣のうち、南側石垣の西面は、近代に大きく積み直された部分です。現在そこには丸い玉石が多く使われており、西面の約80%を占めています。

この玉石は、ほとんどが灰色の安山岩で、やはり河川転石です。多くが常願寺川産の角閃石安山岩が半数を示しており、わずかに花崗岩も存在します。

このような自然石を割らずにそのまま積む積み方を、野面のづら積と呼んでいます。古くから存在する積み方なので、これが戦国時代に佐々成政が積んだ石垣の残りだとする説がありますが、途中に江戸期の割石が組み込まれていたり、解体調査時の発掘所見からこの説は完全に否定されます。明治以降に積み直され、野面積に似た落積になったことが明らかになりました。

玉石の多くは、控えの比較的長いもので、割石と同じ石材を使っています。割石と異なるのは、石の幅・厚さが割石から復元される石材よりも小さく、この玉石を割ると石面の小さな薄い割石となってしまう点です。

これらの割られなかった玉石が明治時代に調達されたものかといえば、必ずしもそうではないことがわかります。玉石の表面には小型の刻印が彫られているものが存在し、他の石材同様慶長期に調達されたことを示しています。

この玉石の数量は把握していませんが、当該石垣の各所に散見され、全体では相当な数にのぼるとみられることから、築城当初の慶長後期頃あるいは寛文改修期に大量に準備されたものとみられます。

玉石の多くは未加工のままのものですが、中には石の先端部を加工しているものもあります。加工方法は、ゲンノウで数回割る、ノミでハツリをかける、ゲンノウで割った後ノミでハツリをかけるなどがあり、いずれも20cm四方程度の小さい面を作り出しており、この小さい面を石面として表に出すことが意識されていたと思われます。

ではこれらの玉石が調達された目的は何でしょうか。

第一に、石垣石材の不足あるいは石垣の調整用石材として調達されたとする見方があります。

石面を目的としたとみられる加工があり、これは石垣用石材として使用することを意識しているとみられます。しかし玉石のみで野面積の6mの高さを積もうとすると、割石積よりもかなり勾配が緩くなるうえ、石のアタリが極少となり崩れやすくなる欠点が生じることから、玉石のみで石垣を作ろうとしたとは考えにくい。だとすると、割石積の間に点々と補足的に組み込むという方法により、あまり強度を落とさずに石垣を整えるという利用が考えられます。また割る手間を省いて効率的に石垣築造を進めることもできることになります。

第二に、石垣とは別の目的で調達された石材とする見方があります。

玉石は高い石垣には向かないため、低い部分の石垣あるいは庭園などの置石などに利用が可能です。低い石垣として推定されるのは、堀の土橋、堀の護岸、神通川等河川の護岸などですが、それを示す痕跡は不明です。
(古川)
玉石の刻印
玉石の刻印