石垣築石の調達

石垣に使用された石は、白っぽい花崗岩類と灰色の安山岩類の2種類で、花崗岩類が6割以上を占めています。

これらの築石をよく見ると、丸くすべすべした面が残っており、川原石を割ったものであることがわかります。しかしどの河川の石を利用したかは科学的に証明されていません。それらの石は富山県東部の河川の多くに存在するからで、肉眼観察では、花崗岩は早月川・片貝川、安山岩は常願寺川あたりが主な候補地です。

金沢城では、約8km離れた戸室山周辺から切り出した戸室石を陸路で運搬しました。高岡城では、約7km離れた雨晴周辺や約20km離れた虻が島の砂岩を切り出し、海上から小矢部川を経由して運搬しました。

川原石は現地で割り、筏などで川を下り、神通川河口を経由して城に直接運び込むことが可能であったため、大量の石をいっせいに集めることも容易だったと思われます。

石に付けられた刻印は、割面にあるものがほとんどですが、一部にすべすべした表面に付けているものもあります。これは、河川敷において候補となる石を選別する際に、印として付けたものと考えられます。

現在は砂防ダムの建設により、築石に適する大きさの石を見つけるには上流まで行かないといけませんが、当時は下流付近でも調達が可能だったと思われます。

戸室山や虻が島などでは石を切り出した場所が残っており、このような場所は「丁場」と呼ばれています。しかし、富山城の築石を加工したのは河川敷と推定されるため、このような丁場は残っていないかもしれません。

しかし、文化年間(1804年から1818年)以降作成の「大沢野用水絵図」には、神通川沿いの芦生・今生津間の「貝喰岩」上方に「石切丁場」の文字が見え、ここから石が切り出された可能性があります。この上流の吉野地区周辺には、山中に花崗岩が点在しています。肉眼観察では石垣に使用されていないタイプのようですが、今後科学分析などで調べる必要があります。
安山岩丁場とみられる常願寺川中流
安山岩丁場とみられる常願寺川中流
花崗岩丁場とみられる早月川中流
花崗岩丁場とみられる早月川中流

また、江戸時代以降、立山山麓の花崗岩を使用したといわれる黄色っぽい「立山石」の存在も注目されるところです。

現在、石垣の石に関連してさまざまな科学的分析を進めており、産地が特定される日も近いことでしょう。
(古川)