石垣石材の転用
(3)磯部の桜碑

The Monument of “ISOBE NO SAKURA”at YASUNOYA-machi

磯部の桜碑
磯部の桜碑
富山市磯部町から安野屋町には、松川に沿って桜並木があります。その右岸側に、「磯部の桜」碑が所在します。この石碑は、大正12年に、富山市石工菊地太平きくちたへいにより製作されたものですが、石材は、江戸時代の石垣石材を転用したものと考えられます。
石碑は、花崗岩玉石かこうがんたまいしを分割したもので、高さ63寸(190.9cm)幅23寸(69.7cm)の大きさで、石垣石材のうち平石ひらいしよりかなり大きいといえます。頭部から側面には自然面(礫面)を残します。
矢穴は、石碑裏面の左右に認められ、左側列(A列)は自然面から、右側列(B列)は割面から入っています。
碑裏面の矢穴列
碑裏面の矢穴列
矢穴(部分)
矢穴(部分)
矢穴A列は、8個の矢穴があり、矢穴間の間隔2から3寸、矢穴の長さ3から4寸です。矢穴B列は、6個の矢穴があり、矢穴間の間隔2から4寸、矢穴の長さ3から3.5寸です。B列の矢穴周囲は筋ノミにより除去整形されており、これにより矢穴2個が消滅しています。したがってB列は8個の矢穴がかつてあったことが推定されます。
これらの矢穴の規格は、富山城石垣にみられる矢穴と同じ大きさであることから、富山城と同じ花崗岩の石切丁場いしきりちょうばから調達されたものと考えられます。
本石碑は、富山城や旧神通川護岸などで使われていた石垣石材の転用品と考えられます。
(古川)