第4回全国城跡等石垣整備調査研究会報告

「富山城の石垣修理―石積・石材の調査成果ー」から

2007年1月18日から金沢市で開催された第4回全国城跡等石垣整備調査研究会は、「石垣の再生・整備」をテーマに、金沢城・富山城・高知城などの石垣修理の実例が報告されました。
富山城石垣の修理については、本センターの古川が発表しました。
その要旨は次のとおりです。

近世前期富山城は加賀前田氏の一支城として位置づけられる。
石垣構築は、1.慶長10年利長隠居所としての整備(慶長期富山城)、2.寛文元年富山藩成立期の改修(寛文期富山城)に伴うものである。近年の発掘調査・絵図研究の結果、幕府許可内容に表れない内郭・石垣の大規模改修の事実が推定され、石垣解体調査により裏付けられつつある。
なお慶長期富山城は、縄張・瓦の製作技術等から、聚楽第を規範とした可能性が高い。
石垣技術は、川原石玉石利用という石材素材の相違があるが、金沢穴生の技術基盤の上に立脚しており、金沢城石垣編年との対比が可能である。X期以降富山城では穴生が非関与となる。
石割技術は、川原石という特性により接合関係が確認され、分割順序の復元や2種の矢穴分割技法の存在が明らかになった。
鏡石解体に伴い、鏡石の補強構造と特有の石割技術が確認され、金沢穴生の高度な技術水準が知られた。鏡積面における鏡石と鏡石周囲の石積の配置、及び鏡石5石の平面配置には、後藤家文書・石垣積方秘伝書で示す陰陽五行説が反映されていると推定される。特に、鏡石と鏡石周囲のM字状の5石の横石の配置は、九星図との照合から「陰陽和合」の思想を具現化した例として検討すべきである。
現存石垣は、大手筋門前通路面以外は近代に大幅改修され、原形を留めない。断絶した伝統的石垣技術とその後の変容を、今後の石垣修理にどういう形で生かすかが大きな課題である。
(古川)