鏡石
陰陽五行説と鏡石
(1) 鏡積面にみる陰陽五行説

鉄門枡形石垣の通路面には、5石の鏡石が配置されています。

2006年に解体した西石垣の北端面には、中央に縦長の鏡石が一つ組み込まれています。

この鏡石は、別項で述べたように、きわめて薄い板状の石が使われています。この鏡石の解体では、中央部の後ろに30cmはなれて大きな玉石(大きさ50cmから60cm)が2個並べて置かれていただけで、特別な補強構造が施されていないことが判明しました。

解体の結果、この鏡積石垣面には、鏡石を囲むようにして、控えの短い横長の石が5石組み込まれていたことがわかりました。この5石は縦長の鏡石の上半部を取り囲むようにM字状に配置されています。

鏡石や横置の石を組み込むことで、石垣の強度は低下します。それにもかかわらず、穴生たちはそれらを組み込むことにより、石垣に何かを語らせようとしたと考えられます。

当初は、鏡石を囲むことで鏡石を一層際立たせて見せる装飾的効果を狙ったものと考えていました。鏡石は穴生の石垣築造技術の高さを誇るもの、ひいては藩主の権威の誇示と理解される場合が多く、富山城の例もそのような権威付けのための装飾として理解すれば簡単です。

しかし後世に金沢穴生後藤家は、「石垣積方秘伝書」のなかで、その鏡積に陰陽和合という陰陽五行説の原理にあたる意味づけを与えました。鏡石のうち縦石は陽、横石は陰をあらわし、陰石は陽石より上になるように積んではいけないと記しています。鏡石5石のうち東面の1石は横石で、縦石より下方に置かれています。

富山城の鏡積にもこれに類似した意味付けがあった可能性があります。江戸前期にこの原型が作られ継承されていたとすると、秘伝書が作成された時代には、秘伝書の解釈に合致するような形の鏡積が存在していたとことになります。このような視点に留意して鏡積をながめると、横置の石5石は鏡石上部を取り囲んでいることに気付きます。またそれらは幾何学的な対称配置であることがわかります。

陰陽五行説のうち、配置や方向を意識したものに「方位図」があります。このうち「先天図」は8方位、「後天図」は16方位を示し、それぞれの方位には八卦が配当されています。これを方形の図に示したものが「洛書」と呼ばれる九星図です。

この九星図の中心を鏡石上端中央に当てると、周囲の4石はそれぞれ東北・西北・東南・西南の方向となり、いずれも陰に該当します。したがって鏡石と真上の1石は陽、周囲の4石は陰をを示し、これらを1つの面に組み込んで陰陽和合を表したのではないかと考えられます。

富山城では、富山藩初期に石垣修築は穴生の手から離れました。このことが幸いして江戸前期の姿が大きく変えられずにきたことにより、その頃の穴生の石積の思想がよくわかる例として貴重だといえるかもしれません。
(古川)
鏡積面における横石配置と九宮図
鏡積面における横石配置と九宮図