地理編2
西ノ丸西堀発見の樹木根

Tree stump

富山城西ノ丸北西隅の堀跡の発掘調査の際に発見した樹木根について、「放射性(ほうしゃせい)炭素(たんそ)年代測定(ねんだいそくてい)」という方法で年代測定したところ、縄文時代中期の樹木根であることが確認されました。
樹木根は、西ノ丸の土塁どるいの直下にあたる場所で、現地表面(標高7.8m)から約5.2m下(標高2.6m)で発見しました。樹木根の大きさは、2m×1.7mです。樹木根のすぐ上まで旧市町村会館の基礎工事の掘削が及んでおり、辛うじて残ったものです。
樹木根については、分析機関において「樹種同定」と「放射性炭素年代測定」の自然科学分析を行いました。
その結果、樹木根は「ハンノキ属ハンノキ亜属」であり、年代は縄文時代中期(約4800年前)でした。このことから、当時この場所はハンノキ亜属が生育する川辺であったと考えられます。
発見した樹木根(矢印先)
発見した樹木根(矢印先)
この樹木根が生えていた面の堆積層について珪藻けいそう分析・花粉分析を行った結果、度重なる河川の氾濫はんらんによる自然堆積層であることが分かりました。
これまでの富山城内の調査では、本丸東側において、標高7mの高さで弥生時代後期(約1800年前)の生活面が確認されており、それは旧神通川(現在の松川)の氾濫による堆積層と推定されています。今回の自然科学分析の結果により、さらに古い縄文時代中期(約4800年前)の生活面が確認され、その地盤面も旧神通川の氾濫による堆積層であることが明らかとなりました。
縄文時代中期の遺物が、これまでの調査で出土していますが、生活を示す遺構は検出されていませんでした。今回、縄文時代中期の地表面が、現在地の5.2m下(城址公園の地表面からは7.2m下)にあることが確認されたことにより、城址公園に縄文時代中期の人々が生活していた状況を把握する手がかりが得られ、ハンノキ亜属が生育する川辺が広がる当時の古環境が復元できました。
(堀内)
富山城樹木根
富山城樹木根