地理編

富山城は、別名「浮城」とも呼ばれ、神通川の水を堀に引いて四方を囲み、堅固な城であったとされます。

現在神通川の本流は、城の西方約800mを流れていますが、明治36(1903)年の直線化工事(馳越工事と呼ばれる)以前は、富山城のすぐ北側を東方へ流れ、大きく蛇行していました。その名残は松川として残っています。現在の松川は川幅9mにすぎませんが、江戸時代には約200mあったことが、記録などからわかっています。

したがって、富山城は旧神通川右岸の川縁に立地していたといえます。

川縁には自然堤防と呼ばれる小高い地形が川に沿って帯状に発達していました。富山城本丸と現在の松川の水面とは5m以上の比高差があり、周囲からひときわ高く感じられたことでしょう。城はそのような地形をうまく利用して築造したと考えることができます。

発掘の成果から、基底部の土は黄色砂質土で、北の松川側から南に向かって傾斜していることがわかりました。このことから、築城に際しては、南側に盛土をして平坦な面を形成するという大土木工事が行われたことが明らかになりました。
(古川)
城配置図
城配置図