江戸富山藩邸の紹介
国元富山と江戸藩邸
 
国元富山藩と富山城の概要
富山藩は、寛永16(1639)年に3代将軍徳川家光の許可を得て成立しました。加賀藩3代藩主前田利常(としつね)が隠居して江戸本郷邸に居住し、次男利次(としつぐ)に富山十万石を、三男利治(としはる)に大聖寺七万石を分封しました。十万石以上を分与された分家は他に例がなく、その石高の大きさは、富山藩前田家の位の高さを物語っています。
 
富山前田家は利次を初代とし、13代続き利同(としあつ)のときに明治維新を迎えました。本家である加賀前田家と同様に外様(とざま)大名ですが、松平姓を名乗り居城を持つことが許されていました。利次は当初、幕府の許可を得て、富山市百塚(ひゃくづか)に新城を築き居城にしようとしましたが中止し、加賀藩との所領替えにより、廃城となっていた富山城を正式な居城とすることが許され、幕末まで藩城としました。 
 現在の富山城本丸南西から
現在の富山城本丸(南西から)
(鹿島)