富山藩邸の発掘調査
藩邸の土地利用5
庭園からの眺望
 
現在、富山藩書院庭園のあった東京大学附属病院看護師宿舎から見た不忍池(しのばずのいけ)、忍ヶ岡の眺望は看護師宿舎、不忍通り沿いに建設された高層ビルによって遮られています。江戸時代の景観は消滅しましたが、向ヶ岡に配置された他藩の史料から当時の眺望を知ることができます。富山藩上屋敷の南、現在の旧岩崎邸のある越後高田藩中屋敷には、第11代藩主榊原政令(さかきばらまさのり)が文化4(1807)年に建てた『香月亭遺蹟碑辞』があります。碑文に藩邸から見える景観について「煌々と月が昇り、霧はあたかも煙の様で、まちなみさえも一軒一軒数えられそうである。浅草や不忍池の林がうっそうと茂り、夜更けに月が昇り詰める頃、当北東の不忍池の水面は月の光をまるで宝玉の様に映している。波が立てば、金を溶かしたかの様でもあり、天女の宮(不忍池弁財天 加藤註)の色彩豊かな瓦屋根が照り映えて、汀の草の露さえも珠玉の趣を感じさせる。」(加藤元信訳 註1)とあり、不忍池の水面に月が宝玉のように映り、波が立てば金を溶かしたようで弁財天の瓦は月の光を反射すると浅草、忍ヶ岡、町屋を含めた月景観が記されます。富山藩上屋敷の月景観を検討すると、中秋の名月は書院の縁側の正面から昇ります。写真は不忍池畔から撮影した月景観です。富山藩書院の方向からの撮影で正面に弁天堂が位置しています。政令が碑に記した「宝玉の様な月」と波が立って「金を溶かしたかの様な月」が僅かの時間差で観られました。
 
銘『香月亭遺蹟碑辞』 富山藩上屋敷書院の月景観
高田藩主榊原政令建立
文化4(1807)年銘『香月亭遺蹟碑辞』
富山藩上屋敷書院
現在の月景観(2014.1.16撮影)
   
不忍池の月景観1 不忍池の月景観2
富山藩書院方向からの不忍池の月景観
榊原政令「宝玉のよう」
(2013.1.26 17時40分撮影)
富山藩書院方向からの不忍池の月景観
榊原政令「金を溶かしたよう」
(2013.1.26 17時32分撮影)
 
富山藩上屋敷の北、現在の東京大学浅野地区、弥生地区の住宅地がある水戸藩駒込邸の表御殿も台地上に位置していました。水戸藩9代藩主コ川齊昭(なりあき)の指示で制作された『向岡記(むこうがおかき)』(徳川ミュージアム蔵)、『向崗花甸(むこうがおかかでん)図屏風』(個人蔵)は弥生(3月)の駒込邸の庭園図で、借景した不忍池、上野の岡、町屋の景観が描かれています。作品には清水観音堂、時の鐘、弁天島、不忍池畔に集まった人々、不忍池の水鳥、舟遊びの舟、不忍池の賑わいも描かれています。富山藩上屋敷の書院からも不忍池の賑わいを眺めることができたのでしょう。高田藩と水戸藩駒込邸から観た不忍池の景観は素晴らしかった事が分かりますが両藩は不忍池の中心からやや離れています。一方、富山藩上屋敷書院の庭園は不忍池の真西にあり、正面は弁天島、その背後に忍ヶ岡、その南側には町屋、更に江戸湾(東京湾)まで眺望できたと考えられます。松平定信が「不忍池はこの庭のために設けられたようだ」と絶賛したのが良く分かります。
不忍池周辺の大名屋敷
不忍池周辺の大名屋敷
「安政改正御江戸大絵図」(国立国会図書館所蔵、安政5年)に加筆
(註1)加藤元信1999「榊原家池之端屋敷跡と旧岩崎家茅町邸」『日本造園学会誌7』
(原)