富山藩邸の発掘調査
藩邸の土地利用1
土蔵
 
写真1は国際科学イノベーション総括棟新営地点(以下、イノベ地点)で見つかった遺構(SB200)で、規模は東西約6.5m、南北約6mのややいびつな方形をしています。白く見えているのは長方形の切石で、ほぼ90cm(半間)間隔で埋められていました。また東・西辺に配置された石はその長辺が東西方向にくるように、南・北辺に配置された石は南北方向にくるように置かれていました。 写真1SB200のロウソク基礎
写真1 SB200(上が北)のロウソク基礎
 
さらに調査を進めるとそれぞれの辺を溝状にロの字形に掘り、北辺から反時計回りに埋められていることが分かりました。そして等間隔に見えていた石は縦方向に石を数段積み重ねたもので、いわゆるロウソク基礎と呼ばれる構造であることが判りました。ロウソク基礎は土蔵などの屋根荷重が大きい建物に使われる基礎構造として知られています。
 
これら石の最下段には写真2のように平らな石が瓦片などで周囲を固めるようにして置かれていました。ちなみに東・南辺は西・北辺より1mから2m深く掘り下げ、地固めした上で写真2のようにされていることも明らかとなりました。同じ遺構でありながら掘削する深さが辺によって異なっていたのは、SB200の下で見つかったSK270という地山(関東ローム層)を深く掘削して構築された大型遺構(写真3、註1)の影響が大きいようです。すなわちSK270の浅い部分にあたるSB200の西・北辺は浅く、逆にSK270の深く掘られた部分にあたるSB200の東・南辺は深く掘られていました。 写真2SB200のロウソク基礎の最下部
写真2 SB200のロウソク基礎の最下部
写真3SK270の完掘状況とSB200(青線)の位置
写真3 SK270の完掘状況とSB200(青線)の位置
 
これはSB200掘削時に安定した地盤を求めて深さを決めつつも、なるべく無駄な労力を使わずに構築しようとした工夫だと思われます。工夫という点ではSB200に使用された石は寸法、形状、材質などが様々で、いわゆる間知石(けんちいし)やホゾ穴といわれる柱を固定するための方形の穴がある礎石などもあり、他の建物(場所)で使っていた石を再利用し、労働量の効率化のみならず資材を無駄にせず、費用も安く抑える工夫が見られます。
 
イノベ地点ではこの遺構と類似した遺構がほかにも3基(写真4〜6)見つかっています。これらの共通点をみていくと1)平面形は方形、2)いわゆる布掘(ぬのぼ)り(註2)をし、石や瓦片などを用いた基礎工事を施していることなどが挙げられます。
 
写真4布堀基礎遺構 写真5布堀基礎遺構 写真6布堀基礎遺構
写真4 布堀基礎遺構
(SD62)
写真5 布堀基礎遺構
(SD68)
写真6 布堀基礎遺構
(SK213・SK215)
 
では、このような構造の遺構は一体どのような建物であったのでしょうか?イノベ地点は本郷構内病院地区北東部に位置しますが、この場所は江戸時代に富山藩上屋敷がありました。富山藩上屋敷を描いた絵図面は現在19世紀のものが7枚確認されていますが、中には「御土蔵」と書かれているものがあります。「御土蔵」と書かれた建物をみると、概ね長方形で、アウトラインは2本線で描かれています(図1斜線の建物、富山藩上屋敷図をトレースしたものに筆者が一部加筆)。
 
富山藩上屋敷図をトレースしたもの(一部加筆)
図1 富山藩上屋敷図をトレースしたもの(一部加筆)
 
長方形の1辺にはコの字状の張り出しも確認されますが、入口を表現したのでしょうか。「御土蔵」が通常の建物表現とは違って2本線で描かれているのは、溝状に掘られた構造をもつ建物であったことを示しているのかもしれません。「溝状に掘られた構造」の建物は、「布掘り」による地業(じぎょう)が想起され、これらの遺構は絵図に描かれた「御土蔵」であろうと思われます。
 
絵図面にイノベ地点を落としてみると(図1)、19世紀には少なくとも2つの「御土蔵」があったことが分かり、これに対応するように写真4や5は図1に描かれた「御土蔵」と近い場所で見つかっています。一方、写真1や6は「御土蔵」が描かれていない場所で見つかっているので、紹介した遺構が19世紀代の遺構ではないのかもしれませんし、絵図面に描かれていない「御土蔵」があった可能性もあります。また、紹介した遺構が「御土蔵」ではない可能性もあり、今回紹介した遺構については、存続年代の特定をはじめ、様々な角度から検討していく必要がありそうです。
(註1) SK270は1辺12m以上、深さは確認面から約6mを測る大型遺構。青いラインはSB200のおおよその位置と大きさを示したもの。
(註2) 基礎工事の1つで、土台や柱を建てる部分を細長く溝状に掘ること。
      (大成)