富山藩主 前田家墓所 長岡御廟所の調査
6.考察編
(2)前田家墓所における位置付け
 
富山藩の宗藩にあたる加賀藩の藩主墓は、金沢市野田山墓地の一角に造営されています。高岡市には二代藩主の前田利長墓所があります。

加賀藩の野田山墓地の変遷は3期に分けられ、このうち長岡御廟所が造営されたのは、U期(17世紀第3四半期から1840年)にあたります。このU期の野田山墓地と長岡御廟所を比較してみます。

墓域・墓の位置 野田山墓地は、正方形の墓域中央に墓が造られます。それに対して長岡御廟所の藩主墓は、長方形の墓域の後方に墓が置かれます。

墳丘・墓の型式 野田山墓地の藩主墓は大きな墳丘を伴うことが特徴です。例えば、初代利家墓は一辺約19mの方形墳丘を築きます。長岡御廟所も、規模は劣りますが、盛土による墳丘を伴っています。その上に載る笠付塔婆形の墓標は前田利長墓所と同様です。

規模の格差 野田山墓地U期は、家族墓の色彩が薄く、藩主の墓が他の家族墓を大きく上回るとされています。長岡御廟所も格差が大きく、1.墳丘基壇の上に笠付塔婆形の大型墓標を有する藩主墓、2.宝篋印塔・五輪塔混合形式の墓標をもつ正室墓、3.小型の笠付塔婆形の墓標をもつ側室・子女墓、という序列がみられます。

埋葬施設 長岡御廟所の埋葬施設は、明治18年に描かれた「婦負郡長岡御廟所御代々御墓絵図」(富山県立図書館蔵)からわかります。地下一丈二尺(約3.6m)に埋葬施設があります。外郭は木製とみられ、中は円礫を充填しています。この内部に棺があると思われます。埋葬施設の上は地上まで切石が積まれます。
野田山墓地の埋葬施設は、基本的に石槨の内部に棺を納めています。埋葬施設のある場所も異なり、構造が大きく異なります。

まとめ 加賀藩主墓と一部共通する点はありますが、墓域の在り方や埋葬施設など、加賀藩主墓の造墓原理が及んでいない部分が多くみられます。墓の要素や考え方を断片的に取り入れながら、富山藩独自の墓所造営を行ったことがわかります。 
長岡御廟所の埋葬施設
 長岡御廟所の埋葬施設
(婦負郡長岡御廟所所御代々御墓絵図(富山県立図書館蔵)をトレース・一部改変)
(野垣)