富山藩主 前田家墓所 長岡御廟所の調査
3.藩主墓
(3)初代利次墓の詳細
   
長岡御廟所の入り口の鳥居から西へのびる参道を進み、西群中央の門をくぐると正面に初代墓が立っています。門から初代墓の間には緑色凝灰岩製の切石が敷かれて、墓道となっており、墓道の脇には4基の墓前燈籠が建てられています。墓の正面手前には墓道と同じく緑色凝灰岩製の切石が敷き詰められ、拝所としています。現在の墓道は長方形の切石が並べられていますが、明治期の「御墓絵図」では、玉石(砂利)を敷き詰めた様子が描かれており、元は現在とは違う姿であったと思われます。

墓は他の藩主墓と同様に土盛基壇と石塔墓標からなり、地下に埋葬施設があると考えられます。基壇の寸法は切石積部で1辺546.5cm、墓標基礎部で1辺212.1cm、高さは約196.0cmです。

初代利次墓 平面図
初代利次墓 平面図
墓標の形は笠付塔婆型で、笠、塔身、台座の組み合わせです。石材は花崗岩製です。台座の下半部は八角形で最下部が少し外に反り、上半部は反花状になっています。頂部に長方形の台を設け、その上に塔身を乗っています。墓標台座は横幅136.0cm、縦幅136.0cm、高さ92.0cmです。

塔身は縦長の長方体で、幅79.4cm、厚さ上端45.8cm、厚さ下端45.8cm、高さ266.6cmです。正面の額は長方形の四隅を内側に折り、段を作っています。ただし額の外側の縁の下部2隅は、内側に折れずに直角になっています。額内は彫り窪ませ、「贈正四位侍從兼淡路守菅原朝臣利次之墓」と陰刻しています。塔身の正面向かって右側面には「越中富山城主」、左側面には「延寶二年甲寅七月七日薨」と刻字されています。現在は正面額内には神式の銘が刻まれていますが、明治17年以前は仏式の戒名「龍光院殿 前拾遺從四位瑞巌良祥 大居士」と刻まれていました。額内には2cm程掘り込んだ痕跡が見られ、改刻する際に掘り窪められたと思われます。両側面の銘も改刻した際に新しく刻まれたものと思われます。

笠の正面形は破風形です。幅126.0cm、奥行93.0cm、高さ49.0cmです。屋根が三角形で切妻形破風のようではありますが、破風板が丸みを帯びていることや懸魚が兎毛通であることは唐破風の特徴であり、少し特殊な形をしています。二代藩主以降の墓標はすべて屋根が丸みを帯びた唐破風形式であり、初代墓だけがこのような特殊な形をしています。裏面も同様の形式で作られており、正面裏面の両方に破風を持つのは初代墓のみです。
(小林)
初代利次墓 正面立面図
初代利次墓 正面立面図
  初代利次墓 側面立面図
初代利次墓 側面立面図