富山藩主 前田家墓所 長岡御廟所の調査
 3.藩主墓
(1) 藩主墓の全体概要
2.地下施設(埋葬施設)
 
地下の埋葬施設にあたる部分は、地中深くに埋もれているため、どのようなものかは確認できません。
明治18年に吉田有宣によって作成された「御墓絵図」によると、地下1丈2尺のところに埋葬施設が存在するとされます。

埋葬施設は長さ8尺、幅6尺3寸、高さ6尺の長方体で、外槨が木製もしくは石製の枠組みとなっており、この外槨の中に小礫が表現されていますが、棺の様子など槨内部の状況は不明です。外槨の枠組みの中に棺を納め、棺の周囲を礫で覆うような構造が想定されます。

埋葬施設の下には円礫を置き、土台にしています。埋葬施設の上には切石が積まれ、地上にまで到達し、その最上段に墓標がのっている様子が描かれています。

基壇の方形盛土はこの石組みの周りに盛られていることになり、墓標の基礎部は石組みの最上段ということになります。現在藩主墓の中には基壇の土盛上部が少し崩れ、石組みの2段目の一部が表に出ているものがあり、それを見ると2段目の石積みは緑色凝灰岩製であり、花崗岩や安山岩が使われている最上段とは異なっています。3段目以降はどのようになっているか確認できません。

絵図に描かれているのは二から十一代のいずれかの藩主墓であると思われますが、絵図に描かれているような地下施設がすべての墓で同じ規格、同じ形式で造られているかは不明です。
(小林)