富山藩主 前田家墓所 長岡御廟所の調査
3.藩主墓
(1) 藩主墓の全体概要
1.地上施設(基壇・墓標)
 
藩主墓は墓標と基壇の地上施設と埋葬施設である地下施設で構成されています。
 
基壇
地上施設は土盛の基壇の上に石製の墓標が置かれるという形です。基壇は土で方形の墳丘を盛り、下部を緑色凝灰岩製の切石を積んで四角く囲っています。墳丘頂部には切石が敷かれ、墓標をのせる基礎となっています。若干寸法に違いの見られる初代墓と八代墓を除いて、全ての藩主墓でほぼ同規格で造られており、形や寸法に違いの見られる墓標とは異なります。初代墓は他に比べ墳丘が高く、八代墓は若干低くなっています。

墓標
墓標は初代から十一代まで全て笠付塔婆型で、台座、塔身、笠の組み合わせです。台座は下半部が八角形、上半部は丸みを帯びた反花状になっており、花弁を重ね合わせたような形をしています。塔身は長方体で正面の額内を彫り込み、その中に官位名を刻んでいます。左側面には「越中富山城主」、右側面には没年月日が刻まれています。笠は全て破風付のもので、二代以降の墓は全て唐破風形式で造られており、丸みを帯びた屋根の上に棟がのっています。初代墓は特殊な形式の破風になっており、屋根も三角形をしています。

墓標に使われている石材は二代の墓標を除き、花崗岩が使用されています。この花崗岩は黄色がかった色調で、いわゆる立山石と呼ばれる石に似ており、富山城の石垣に使用されているものにも似ています。対して二代の墓標は、灰色の安山岩が使用されています。また、基壇の墓標基礎部の石敷には上にのる墓標と同じ石材が使われています。なぜ二代の墓標だけが安山岩製になったかは不明です。初代と二代は信仰した宗派が異なることから、別の石材が使われたとも考えられますが、三代以降はすべて花崗岩製になるので宗派だけでなく別の要因があると思われます。
(小林)