富山藩主 前田家墓所 長岡御廟所の調査
1.長岡御廟所の概要
(3) 墓所の構造
 
長岡御廟所は、土塁・柵・堀および池によって囲郭された藩主墓所、墓所前に設置された参道部、鳥居の南側の墓守寺である真国寺境内、この3つで構成されています。

1.藩主墓所
藩主墓所は、明治31年の改修工事によって、堀が埋められ、土塁のうち一部は石垣とされたり、切り崩されたりして整地されています。
藩主墓所は、参道東端に所在する鳥居からみて、正面奥の西群と、鳥居右手の北群とに大きく二分されます。西群の中央には初代利次墓があり、この両側にそれぞれ3代の藩主が祀られています。利次墓の南北両側には元々土塁が存在して一区画を形成し、その他藩主とは区別されました。
一方北群では、二代正甫墓・六代利与墓が並んで1区画、その東側にやや奥まって三代利興墓・七代利久墓の2基が並んで1区画を形成しています。
したがって、長岡御廟は2つの大区画と5つの小区画により構成されているといえます。

2.参道部
参道部は、基点として鳥居があり、その南側には真国寺があります。幕末までの参道の位置や方向は「重臣ヨリ献灯姓名録」により知ることができますが、現在は開発により原状をとどめていません。
各参道の両側あるいは片側には、各参道の先にある藩主墓の関係者が寄進した燈籠が配置されていた。その総数は477基に及びます。この寄進燈籠は、その後すべて原位置を離れ、利次墓参道の両側に再置されたほか、大部分が藩主墓所外縁部に移動しました。

3.真国寺
光厳寺末真国寺は、富山市八ヶ山字小林4185番地に所在します。
記録によれば大法寺末妙経寺も所在していました。明治年間作成閉鎖公図によれば真国寺の北側には、参道をはさんで4178番地が所在し、地目が宅地となっています。ここに旧妙経寺が所在していた可能性があります。
(古川)