富山藩主 前田家墓所 長岡御廟所の調査
1.長岡御廟所の概要
(2) 位置と地形
 
長岡御廟所は、富山市街地の西方にある呉羽丘陵北端部の台地状の平坦面に築かれており、東辺と南辺は丘陵崖線に面しています。
 
長岡御廟所の東側の谷には牛ヶ首用水が流れており、この谷側が入口となります。長岡御廟所から牛ヶ首用水の流れる小谷を挟んだ東には、八ヶ山と呼ばれる小高い場所があり、さらにその北東にも台地が延び、百塚まで続いています。百塚は呉羽丘陵最北東端であり、すぐ東には神通川が流れています。この長岡御廟所から百塚にかけての台地は、旧神通川の作用により形成されました。牛ヶ首用水の通る谷を扇頂部とする旧扇状地が原地形であり、その東端を旧神通川によって削られ、段丘状になりました。
 
富山藩分藩当初は、百塚の地に城を築く計画があり、八ヶ山から百塚周辺の台地が百塚城の築城予定地であったと考えられます。長岡御廟所は、この百塚城の築城予定地の南端部付近に築かれていることになります。
 
長岡御廟所の南東約3kmには富山城があり、富山城や城下町とは神通川を挟み、距離があります。また、長岡御廟所は富山平野の北東端にあたり、富山藩領の中でも北東の周縁部に位置します。
(小林)
長岡御廟所位置図
長岡御廟所位置図